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惨めな気分になることで懲罰不安から逃れる-自由連想法による自己分析32回目

自由連想法の内容(重要な連想のみ):

ポンジャン わざと負けた 最初はそんな気はなかった
場に流れる緊張感 気まずい雰囲気
ぎこちなさ グループデートのような、そうでないような
「どっちにしても私は行くから」 行く気満々 何を期待?

自由連想法による自己分析からの洞察:

わざと負け続けて惨めな気分に…

これは中学のときの記憶です。男女二人ずつぐらいのグループでポンジャン*をして遊んだのですが、途中から急に自分から勝つことができなくなり、役ができそうになるとわざと役を壊して自分が勝たないように注意しました。そんなことをしてもちっとも楽しくなく、むしろ憂鬱で惨めな気分になったのですが、それでもその自虐的な行為を止めることはできませんでした。
自分でも不快になることを、なぜわざわざしなければならなかったのか、ずっと気になっていました…
*家族向けのマージャンのようなルールのゲーム。まだあるのでしょうか?

惨めな気分になることで超自我の懲罰不安から逃れる

しかし今回の自己分析で謎が解けました。そこには次のような複雑な心の働きが関係していました。
1. そのグループには(当時は無自覚でしたが後から考えれば)好意を寄せていた女子がいて、その女子へのいろいろな期待を抱いていた
2. 母親の性的タブー視の影響(取り入れ機制)から「そんなやましい気持ちを!」と自分を攻撃
3. その(過酷な超自我の)攻撃に耐えられず、自分を責める気持ちをグループに投影
4. グループ全員から「やましい気持ち」を持っていることを責められる恐怖を感じ不安になる
5. 自分にはそんな浮ついた気持ちなど微塵もないことを証明するため、憂鬱な気分になることに全力を注ぐ
6. 憂鬱で惨めな気分になる代償と引き換えに、超自我(内在化された恐い母親像)の懲罰不安から逃れることに成功

懲罰不安による過度の禁欲やボランティア精神

このように書きますと、とても奇妙で病的な心理に思えるかもしれませんが、この心理は「(犯罪行為か否かに関わらず)罪を犯したと感じた人がその罪悪感に耐え切れずに、過度に禁欲的になったり強迫的にボランティアや慈善事業にのめり込むときの心理」と似たものがあるような気がします。
超自我 心理学的考察本

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