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先日スーパーバイザーとの個人セッション*で行ったナラティブセラピーと、その後の自己分析です。
*関連ブログ:
現実感覚喪失に有効な傾聴-自己分析77回目

ナラティブセラピーを行うまでの経緯:

少し前に体験した現実感覚喪失*の内容と、その体験から得られた洞察の報告。
*関連ブログ:
統合失調症の幻聴を疑似体験-自己分析75回目
統合失調症の幻覚・離人感を疑似体験-自己分析76回目

現実感覚喪失体験から得られた洞察

・他人から利用されることへの鈍感さ
・自分が他人を利用しているとの過剰な罪悪感
・人間関係におけるバカ正直な傾向
・成功すると他人から妬まれるのではないかという過度の不安

ナラティブセラピーで取り上げるテーマ:

スーパーバイザーの勧めで「成功すると他人から妬まれるのではないかという過度の不安」をナラティブセラピーで扱うことにしました。

ドミナントストーリーの作成:

どのような環境で育つと「誰もが」成功に対する他人の羨望を過度に恐れる人間になると思うのかを、架空の人物の物語を通して表現しました。
物語の主人公は都内在住の男子高校生。物語は彼が生まれた瞬間から始まります。
「オギャー、オギャー、オギャー」
「うるさいわね!」
大変な難産の末の出産…やっと苦痛から解放されたと思った母親にとって、赤ちゃんの鳴き声は迫害的で神経を逆撫でするものでした。なぜならその赤ちゃんが「まだ苦しみが足りない、もっと苦しめ!」と言っているように聞こえたからです。
それはまるで彼女に暴力を振るう夫と赤ちゃんが裏で通じていて二人でタッグを組んで彼女を虐めているようにも思えました…
(お前まで私を恨むのか…)
(泣いちゃいけないんだ、僕が泣くとママを悲しませちゃうんだ…)
グッと涙を堪え、今度は笑って見せました。
「何笑ってるの! 何がそんなにおかしいの!」
自分が苦しんでいるのに呑気に笑う赤ちゃんが、自分をバカにしているように思え許せなかったのです。
(笑っちゃいけないんだ、僕が笑うとママを悲しませちゃうんだ…)
作り笑いをやめ今度は……もうこれ以上思いつかなかったので黙っていることにしました。
「イライラするわね、この愚図!」
陽気でせっかちな性格の母親にとって、根暗でのろまに見える赤ちゃんはイライラさせられる(そして母親は無自覚でしたが「役立たず」の)腹立たしい存在でした。
(ママをこんなに悲しませるのは、きっと僕が自分では分からないけど、とんでもなく異常で性格が悪い子供だからなんだ…)
それからいろいろ考えた挙げ句、赤ちゃんは母親の顔色を伺うことにしました。そしてこの戦略は大変役に立ちました!
なぜなら母親が(無意識に)求めていたのは「笑って欲しいときには笑い、泣いて欲しいときには泣き、静かにして欲しいときには黙っている」ような子供だったからです。
ここで時計の針を少し逆戻りさせて、赤ちゃんが産まれる前の母親の人生を辿ってみましょう。
結婚前、母親は職場のいわゆる紅一点で、同僚が彼女に変わって全部仕事を片付けてくれました。彼女はただボーッとしているだけで良かったのです。
ところがこの幸せも結婚と同時に終わりを迎えます。結婚退職して家庭に入った母親を待ち構えていたのは、結婚前とは180度違う人生でした…夫はおよそ気遣いというものを知らない人間で気性も大変激しく、そのため今度は母親の方が気を使う立場に立たされたのです。それは母親にとって何の楽しみもない地獄のような日々でした…
幸い妊娠したことが分かり母親は心底ホッとしました。これで気遣いだけの毎日から解放される…生まれてくる赤ちゃんは以前の職場でのように、いつも母親を気遣い何でも欲求を満たしてくれる救世主のような存在となるはずでした…
ところが実際に生まれてきた赤ちゃんは、好き勝手に泣いたり笑ったり押し黙ったりとまるで自分勝手な性格で、その傲慢な振る舞いは自分から人生の幸福をすべてを奪い取った恨めしい夫と瓜二つでした。残念ながら生まれてきた赤ちゃんは救世主ではなく悪魔の子ダミアンだったのです…
母親は迂闊にも悪魔と結婚してしまい、さらに悪魔の子まで生んでしまったのです…何て私は不幸な人間なんだろうと、自分の人生を呪わずにはいられませんでした…

ナラティブセラピーのドミナントストーリーからの洞察:

個人セッションを終えてから、セッションで作ったナラティブセラピーのドミナントストーリーを自己分析してみると次のような洞察がありました。

喜ぶことが他人を苦しめる

まずこのナラティブセラピーのテーマである「成功すると他人から妬まれるのではないかという過度の不安」ついてですが、この不安は「笑う」という楽しさや喜びの表現が母親を悲しませたという罪悪感に結びつく体験が、自分が何かで成功して喜びを感じるとそれは他の人を苦しめることになり、それが苦しめられた人々から妬まれたり恨まれたりする空想へと発展していったのではないでしょうか。

母親の予測不可能な態度・反応への恐怖

以前に体験した、目覚まし時計の無秩序な音の変化への恐怖*は、今回のナラティブセラピーで現れてきた次々と変わる母親の予測不可能な態度や反応への恐怖を再現しているように思えました。
したがって統合失調症の幻聴を疑似体験することにより生じた数々の症状は、その行為自体がトラウマを生んだためではなく、もともと抱えていた幼少時のトラウマに状況が似ていたために症状として再現されたものと考えられます。
*関連ブログ:
統合失調症の幻聴を疑似体験-自己分析75回目

混乱を回避するためのバカ正直さ

冒頭のナラティブセラピーを行う前の洞察の中の一つ「人間関係におけるバカ正直な傾向」は、幼少期に培われた混乱を回避するための工夫と思われます。
もし当時母親の本音を推測ようなことをしても、それは選択肢を増やすことで益々母親の考えていることが分からなくなり、余計に混乱するだけだったと思います。
何でも真に受けるバカ正直な性格は、母親との混乱したコミュニケーションの中を生き抜くために考え出された戦略だったのでしょう。
ナラティブセラピー解説本リスト

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