疲労の感覚が麻痺-自由連想法による自己分析・治療228回からの続き。
自由連想法による自己分析・自己治療:
子供(幼稚園)の頃の記憶
夜ベッドの上で箱庭のようにおもちゃを並べて遊んでいた
そうすることで空想の世界に浸っていた
この頃から、いつまでも寝ないで起きていることを好んでいた
遊んでいたというよりも、寂しさを紛らわしてした
両親に気づかれないように豆電球だけ点けて遊んでいた
それでも必ず見つかり父親の雷が落ちた
「出て行け」といわれたこともあった
(関連ブログ: 反社会性パーソナリティ障害?の父親の虐待-自由連想法による自己分析・治療187回)
いつ父親に見つかり叱られるか分からないのに、なぜそこまでしてベッドの上で遊ぶことに固執したのか?
眠るのが怖かった?
そういえば子供の頃はよく悪夢にうなされた
高い所から落ちる夢、一面が火に包まれる夢
火に包まれる夢は風邪で熱があるときによく見たので、子供ながらに「火に包まれる夢は熱があることのバロメーター」だと思い込んでいた
その他の印象に残っている夢
地下の世界に落ちて幽霊に遭遇する夢
堤防の上に椅子がポツンと置かれている夢
いずれも恐怖や孤独を感じる夢ばかり…
子供の頃楽しい夢を見たという記憶がない、思えているのは悪夢ばかり…
ときどき母親が寝る前に童話を読んでくれた
たぶんそれは父親が帰って来ない夜だったと思う
もし父親がいたら「うるさい!」と怒鳴るだろうから
母親が童話を読んでくれる時間は楽しかった
だとすると夜は必ずしも嫌なことばかりじゃなかったのか
嫌なのは父親が珍しく早く帰ってきた夜だけ
鬼のように怖い父親だった
まったく太刀打ちできなかった、完全に無力だった
楽しいひと時は父親によって、ことごとく破壊された
父親がいない時だけが平和だった
別のうるさくした訳でもないのに、大人しく遊んでいただけなのに何であんなに父親は怒ったのだろう?
いや別に理由などなかった…ほんとに些細なことで父親は怒りを爆発させたから
職場ではどうだったのか知らないけど、家族に対しては一切遠慮がなかった、怒りに任せて殴り放題だった
ん?でも父親を慕っていた部下の方もいたし、親戚のMさんに対しては父親も態度が違っていたらしい
誰に対しても凶暴ではないんだ
もしかしたら父親には「面倒見がいい」面があったのかもしれない
中学のときの記憶
(ネックレスを見て)「彼女にもらったのか?」
どことなく父親が嬉しそうだったような気がする
信じられないことだが(怒鳴られたことを抜かして)これが学生時代に父親と交わした会話で唯一覚えていること
これなら父親が何を考えているか分からないのも当たり前か…
「心理カウンセリングなんかで食べていけるわけがない」からと再就職を希望していた
父親自身も地方公務員という堅実な職業を選び定年まで勤めた
堅実な職業と賭けマージャンに明け暮れた日々とのギャップ…
真面目なんだか不真面目なんだか分からない
もしかして父親は職場と家庭とではまったく異なる顔を持っていたのか?
そういえば家庭内暴力をはたらく男性でも、職場ではむしろ物静かな人も珍しくないそうだ
父親ももしかしたらそのような二重パーソナリティ的な性格だったのか?
いや父親はよく家で同僚や上司を誹謗中傷していたし、定年後もこれといった再就職先がなかったし、腎不全で入院しても職場の人は誰も見舞いに来なかった、歩いて3分の距離にある病院だというのに
しかし同僚に比べて出世が早かったのもまた事実
分からない
高校生のときの記憶
偶然見つけた父親の仕事の写真
秘書として市長を先導するその姿を見て、初めて父親のことを誇らしげに思った
そういえば市長さんからとても気に入られていたそうだ
これが出世に影響したのだろうか?
「父親のような大人にだけはなるんじゃない」が口癖だった母親
母親はどうして父親と結婚したのだろう?
未だに不思議でならない…
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
DV(家庭内暴力)の父親のいない幸せ
自由連想法による自己分析・自己治療の中で改めて子供の頃のDV(家庭内暴力)の父親がいない幸せな時間が思い出されました。
「亭主元気で留守がいい」という標語がありますが、我が家ではそれは単なるジョークではなく切実な願いだったように思えます。
家庭内暴力(DV)に明け暮れた父親は家族に恐怖をもたらすものでしかなく、父親がいないときにだけ一家に幸せが訪れたのですから。
また恐怖の的であったためか父親と満足に話をした記憶すらなく、したがって未だに父親のことがよく分かりません。父親の同じようことを同僚にこぼしていたらしいですが…
父親のDV(家庭内暴力)原因・対策ガイド本