個性的であることにこだわりがないはずなのに、その自己評価と真逆の夢を見た
先ほど投稿した夢日記のブログ「野心溢れるアート作品志向の写真家の自尊感情が表れた夢@夢分析」の最後に、自分自身ではあまり個性的になりたいとの願望を感じない旨のことを書きました。
それは例えば写真家のHPの記事「作品のオリジナリティに関する2つの概念」の中で、作品に際立った特徴を持たせようなどと特別意識せずとも、撮りたいものを撮りたいように撮るだけで、その人らしい作品に仕上がってくる、個性とはそのように無意識に浮かび上がってくるような性質のもの旨のことを書きましたように、むしろこだわりがない方だと思っていたためです。
しかしそれでも、このような個性的な作品を作ってその個性を注目されたいと思っているかのような夢を見たからには、何らかの理由がありそうです。
「精神のノマド」的な生き方がますます加速
そこでその理由を探っているうちに連想されたのが、以前にカウンセリングのHPに「居場所は複数あった方が楽~精神のノマドのすすめ」という記事を書いた頃よりも、ますます他人の評価を気にしなくなってきていることです。
精神のノマドの記事では、居場所が1つしかないとその居場所が生きて行く上でか欠かせない存在となるため、そのコミュニティへの依存が生じ、かつそのコミュニティに属する人々からできるだけ嫌われないようにとの思いから他人の評価を過剰に気にするようになる、だから居場所は複数あった方が精神的に楽というようなことを書きました。
この記事は私自身それが良いと思って書いたわけですから、当然それを実践した結果、特定の人々との親密な関係が以前よりも更になくなり、それに代わって広く浅い人間関係が大きな比率を占めるようになりました。
そしてそのような人間関係の中では、特定の人との間の心理的なものも含めた利害関係の影響も小さくなるため、いつしか人から嫌われたくないとの思いまでもが薄らいでいったようです。
他人の評価が気にならなくなることで自発性が発揮され個性的になっていった
そしてこの他人の評価を気にしない傾向が、これまで以上の自発性を発揮させることとなり、それがいわゆる個性へと繋がることになっていったのではないかと考えられます。
ただ注意が必要なのは、ここでの個性とは他人から見たユニークさではなく、先ほどの写真作品の例と同じ意味合いのことを指しています。
それを生き方に変えて言えば、関心を持ったことを自分がしたいように実践するということになるかと思います。
ただしこれも誤解を生じかねない記述ですので補足しますと、これはルールを無視して好き勝手に生きるということではありません。
そうではなく自由とは他人の評価に束縛されないという意味合いです。
ここまで書いたところで肝心の夢の内容から外れてしまっているようにも思えますが、ひとまず今回の夢からこのような自己分析ができました。