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極度の恐怖心を感じる人に対しては怒りさえ感じることができない〜『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて』との共通点

北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子の印象に残った心理

先日フジテレビで『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』という番組が放送されていました。
この番組は北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の息子さんのドキュメンタリーです。

番組では彼が目撃した想像を絶するほどの残虐な行為がインタビューを通して明らかにされていましたが、私にとって特に印象的だったのは、彼が親に対して感じていることでした。

彼の話によれば、父親が巧みに家族や親戚の心を恐怖によってコントロールし、彼らに通電などの残虐な行為を行わせていました。
また時には父親が直接手を下す時もありました。

そして息子さんも度々そのターゲットにされていたようですが、それにもかかわらず彼が激しい憎しみを抱いていたのは父親ではなく母親に対してでした。
彼にとっては、父親に脅されて自分に危害を加える、あるいは父親の暴力から守ってくれなかった母親のことが一番許せなかったようです。
この彼の様子を見ていて、自分の子どもの頃のことを思い出しました。

私も父に対しては何をされても怒りを感じることはなかった

私の父はこの親のような犯罪を犯したわけではありませんし、また恐怖によって他人をコントロールするような傾向もありませんでした。
しかし非常に気が短く、些細なことでも怒りを爆発させ、またその際に暴力を振るうことも少なくありませんでしたので、私にとってはただただ恐ろしい存在でした。
ですから父が仕事から帰って来た途端に、家の中に緊張が走るのが日常となっていました。

ところが私が恨みを抱いていたのは父ではなく母に対してでした。
もちろんそれは母との間にも色々とあったからではありますが、しかしそれらは父の行為のような生きた心地がしないほどの恐怖心を感じるものではありませんでした。

極度の恐怖心を感じる人に対しては怒りさえ感じることができない

この私や番組の彼の反応から推測できるのは、人は本当に怖い人に対しては怒りさえ感じることができないということです。
恐らくそれは、自分が怒りを感じていることを知られると、もっともっと酷い目に遭わされるかもしれないという恐怖心がそうさせるのかもしれません。

つまり圧倒的な力の差を感じている相手に対しては、恐怖心から怒りの感情さえ抑圧されてしまうのに対して、何か酷いことをされても圧倒されるほどの力を感じない相手に対しては怒りの感情を抱くことが可能となるのではないかと考えられます。

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