夢:
ドラマ『永遠の仔』で登山した山
椎名桔平「ボクは12才で買って来たよ」
自由連想法による夢分析の内容(重要な連想のみ):
自分も丁度コーヒーが飲みたかったんだ!
母親の勘違いを訂正できない 嬉しそうな母親を見ると そんなことは滅多にないので
いつも寂しそうなので そんな酷いことはできない 悲しませたくない がっかりさせたくない
でも自分の欲求を我慢するのも辛い…
→母親の期待を「自分の欲求」と錯覚!する防衛(取り入れ同一視)
これなら母親を悲しませず自分もHappy!
自由連想法による夢分析からの洞察:
母親の欲求を自分の欲求と信じ込む取り入れ同一視
自由連想法に表れたのは父親の四十九日で帰省したときの出来事です。弟と三人での買い物からの帰り道、母親がお気に入りのカフェの洒落たデザインのことを何度も話すので「ちょっとどんな店なのか見てみたい」と言うと「コーヒーでも飲んでいこうか?」と誘われ「ちょうどコーヒーが飲みたかったんだ」と思いました。
しかし後から考えますと、私は別にコーヒーが飲みたかったわけではありません。ただどんな店構えなのか外から見たかっただけなのです。
このときの私は、いつの間にか母親の欲求を自分の欲求と信じ込んでいたのでした。ちなみにこのように他人の欲求などを無意識のうちに取り入れて自分のものを錯覚してしまう心理は精神分析の防衛機制の一つで取り入れ同一視(取り入れ同一化)と呼ばれます。
取り入れ同一視による職業選択の誤り
自分の中に取り入れ同一視が働いていたことを知り、長い間の謎の一つが解けました。それは職業選択についてです。
小学生の頃から私は漠然と「自分はきっと建築家になるんだろうな」と思っていました。別に建築の仕事に興味があるわけでなく、ただ覚えているのは母親が何気なく「お兄ちゃん、大きくなったら建築家になればいいのに」と言ったことだけでした…
そして中学・高校と進むうち別に興味のある職業もなかったため、何となく建築の専門学校へ行き建築設備のメーカーへ就職しましたのですが…一年で辞めてしまいました。
この職業選択における取り入れ同一視は、前述のコーヒーの件とは比べ物にならないほど有害で病的な事例でしょう。
取り入れ同一視の人間関係におけるメリット
もっとも取り入れ同一視には(他の防衛機制にも言えることですが)メリットもあります。たとえば他人と食事をしているときに「美味しいね♪」と言われ、(あとで振り返るとそれほどでもなくても)本当に「美味しい」と感じられたことはないでしょうか?
このとき、もし「自分も美味しい」と感じる取り入れ同一視が働かないと…正直にコメントすれば反感を買うでしょうし、気を使って同意してもそれはそれでストレスが溜まってしまい、いずれにしても不快な思いは避けられません。
このように人間関係では(適度に)取り入れ同一視が働くことで関係がよりスムーズになります。また、より大きな集団でも同様で、取り入れ同一視は「一体感」や「連帯感」を育む重要な要素となっています。
取り入れ同一視とは無縁の性格との思い込み
話を私自身のことに戻させていただきます。実は私は「人間関係における取り入れ同一視のメリット」を享受できない人間の一人であります。そのため人間関係、特に大人数での会食などが大の苦手です。
このような理由から今まで「自分は取り入れ同一視とは無縁の性格」と思い込んでいたため、今回の自己分析の洞察はまったく意外なものでした。