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常に何かを生み出し続けなければ自分に存在価値はないという強迫観念…@自己分析

半年近く前に書いた自己分析の記事を投稿するのを忘れていましたので、遅ればせながら投稿します。

久し振りに真剣にテレビを見る

先日、家族ゲームというテレビドラマの最終回を再放送で見ました。引っ越し後のシーンはほとんど覚えていませんでしたので、もしかしたら最終回は見逃していたのかもしれません。

それはさておき、久しぶりに真剣にドラマを見ました。と言いますのもこれまで家でテレビを見る時は必ずと言って良いほどパソコン作業などをしながら、いわゆる「ながら見」でテレビを見ることが習慣になっていたためです。
その理由は時間の効率的な利用です。一度に複数のことをこなせば時間を有効利用できると思い込んでいたためです。

しかし(そのつもりがなくても思わず真剣に見入ってしまったのは、それだけドラマの内容に惹き込まれたからなのですが)テレビドラマだけを真剣に見るという行為は、私に特別な感覚をもたらしました。

感情にしっかりと触れる感覚

ながら見との一番の違いは感情の喚起です。
ながら見でもところどころ上の空になりつつも、ストーリー自体は一応は分かります。
ですがそれでは今回体験したような感情の高ぶりのようなことは望むべくもありません。

効率的に時間を使っているはずなのにイライラしている

もう一つはこれはまた普段通りのながら見に戻ってしまった時に分かったことですが、そうして効率的に時間を使っているはずなのに、なぜか頻繁にイライラを感じています。
まるで何かに急き立てられているかのようです。

恐らく何かに急き立てられている(=焦りを感じている)からこそ、できるだけ効率的に時間を使わねばという発想が生まれるのだと思います。
確かに私は、いつもやりたいことの10分の1もできないと感じていますので、そうした焦りやイライラが生じるのもむしろ当然です。

さらに自己洞察を進めていくと、この何かに急き立てられる感覚は自己愛的な性格に顕著な空虚感を回避するためにように思えてきました。
確かに「何もすることがない」ことほど私にとって苦痛なことはありませんので…
(ですのでカバンの中には常に本が入っています)

また私は自分で何かを生み出すことへのこだわりがありますが、これはそのことが自分の存在価値の拠り所となっているからではないかと思います。
これは裏を返せば、少しでも?それをサボれば自分の存在価値が失われかねないという不安を抱えているということです。
それゆえ(今書いているこのブログも含めて)常に何かを生み出し続けなければならないという強迫観念に急き立てられているのだと思います。

しかしそうして常に忙しくすることで多くの成果物を得る反面、今回のドラマで体験したような「いま、ここ」での体験を十分に楽しめていない気がしました。
もしかしたらイライラは、幾ら多くの成果物を生み出しても瞬間瞬間を楽しめていない、その満たされない感覚からのものなのかもしれません…

忙しくできないことにホッとする

ここまで書き終えた後、ノートPCのバッテリーが充電切れのため予備のバッテリーに切り替えたのですが、何と充電し忘れたのか、これもすでに充電切れ…
止むを得ずPCを落として作業を終えました。

すると肩の荷が下りたように、ホッとする自分がそこにはいました。
これで常に忙しく何かするように自分を急き立てていたのは自分自身であったことが明らかとなりました。
最後にこんな気分を味わったのは、果たしていつのことだったでしょう…

追伸)よく行きつけのカフェなどで店員さんがとても恐縮しながら対応してくださる時があるのですが、今思えばそれは自分が自覚なくイライラしていたためではないかと思えます…

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