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自分の「考え」に価値があると認められることが、自尊心の拠り所となっている

昨日、カウンセリングのサイトに「「君たちはどう生きるか」ブームへの危惧〜考え方だけでなく行動を変えなければ、やがて元の状態に戻ってしまう」という記事を書きましたが、この記事の内容とは別に、私個人の性格に関する洞察もありましたので自己分析のブログの方にも記述致します。

勇気を讃える世間の風潮

君たちはどう生きるか」のブームを取り上げた「クローズアップ現代+」を見ていて自分の性格のことが連想されたのは、同級生がいじめられているのを見て止めるように言ったことに対して、その勇気ある行動を讃えるシーンです。

いじめとは異なりますが、これまでの人生の中でこうした勇気を讃えられることが何度かありました。
その中で特に記憶に残っているのは、心理系のワークショップでの出来事です。

守秘義務がありますので具体的な内容は伏せますが、そのワークショップで行われていたワークの展開が、私にはあまりに人格を傷つけるもののように思えたため、終了後のディスカッションでそのことを述べました。
ところがそれに対する周囲の人の反応は、私が意見したことに対する、つまり態度への賞賛でした。

しかしこれはある意味当然かもしれません。なぜなら少なくても日本においては、教わる者の礼儀として、教える立場の人を敬い、ありがたく教えを賜ることが常識と考えられているようですから、あえてその常識に逆らうようなことを行うためには相当な勇気が必要とみなされてもおかしくないためです。

自分の考えに価値があると認められることが、自尊心の拠り所となっている

ところがこの勇気を讃えられた出来事も、私には少しも嬉しく感じられませんでした。
なぜなら私が評価して欲しかったのは、発言したこと自体ではなく発言の内容の方だったからです。

思えば学生の頃から、友人と喧嘩になる時の原因は、決まって自分の考えが否定された時でした。
ですから私という人間は、自分の考えというものに相当のこだわりがあり、それが価値あるものと認められることが自尊心の拠り所となっているのだと思います。
まただからこそ、こうして毎日のように様々な記事を書き続けているのでしょう。

もちろん記事を書くことは、仕事の上での集客につながります。
ですがそのために嫌々書いていることでは全然なく、書きたくて仕方がないから書いています。
こうしたことは、それが自尊心の拠り所となっていない限り、決して起こり得ません。

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