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子どもの頃の会食恐怖症などの症状は、他人から気にかけてもらうための病理利得だった可能性がある@自己分析

自己分析の素材

昨日、FBの個人ページに次のような投稿をしましたが、最後の部分は私の子どもの頃の出来事を念頭に置いたものでもあります。

クローズアップ現代+「生きづらさを抱えるあなたに障害者殺傷事件が投げかけたもの」
NHK総合 29日(木)22時00分~22時25分

「生きづらさ」という言葉、元々は被害に遭われた方々のように、ご自身の努力ではどうにもならない要因を抱え、かつそのことでとても困難な生活を強いられる方々の人生に対してのみ、しっくりとくるものだったように思えます。
しかし現在は「死にたい」という言葉と共に、(その自覚はないでしょうが)他者から気にかけてもらえるための非常に有効な手段として、毎日大量に呟かれるようになってきているように思えます。
身近な人がそうしたことを言い始めれば、誰でも心配するでしょうから。
ですがそれも最初のうちだけです。
そうしたことが繰り返されれば、いずれ「またいつものこと」と思われるようになってしまいます。

自己分析

苦しんでいる私を見て怒り出した母

私は幼稚園への入学と共に集団生活への不適応を起こし、大人で言えばパーソナリティ障害水準に当たるような症状を次々と発症しました。
その症状の1つが「嘔吐恐怖症」のカテゴリに列挙されている、友達など親しい人と一緒でも気持ち悪くなり吐き気がしてご飯をほとんど食べられなくなる、ですから正確には会食恐怖症と呼ばれるものです。

私自身はそうなりたくてなっている訳ではありませんので、これはとても辛い症状でした。
しかしこの私の苦しみとは裏腹に、母の態度は当時の私からみれば非情そのものでした。

1つとても良く覚えているは、中学か高校の頃に、母と弟と母の高校の同級生と4人で札幌に遊びに行った時のことです。
これからどこへ行こうかと皆で通路で相談しているときに、急に具合が悪くなり吐き気がして来て、胃液だけですがとうとう吐いてしまいました。

しかしその私の様子を見て、なぜか母が怒り出しました。さらにその母の態度を見て、今度は母の同級生が怒り出しました。
しかしそれでも母は「いいの、この子はいつもこうなんだから」と切り返し、決して態度を改めませんませんでした。

母は恐らく病理利得を感じ取っていた

この話を聞いた皆さんは母のことを酷い親だと思うかもしれません。当時の私もそう思い、母のことを相当恨んでいましたので。

しかし話はそれほど単純ではありません。今だからこそ自覚できることではありますが、気持ちが悪くなる少し前からハッキリと覚えてはいませんが急に疎外感のようなものを感じ始めていました。
そしてそれを感じた途端、急に気分が悪くなり最後は嘔吐へと至りました。

もし疎外感と嘔吐とが無関係でないとすれば、このような因果関係にある症状のことを精神分析では病理利得という概念で説明します。
病理利得とは文字どおり、病気になることで何がしかの利益を得ることを指します。
そしてその利益が当事者にとって価値が高いものであるほど、その症状が持続されやすいと考えられています。

この病理利得の概念に照らせば、私の症状は自分が期待するほどには周囲の人から気にかけてもらえなかったため孤独感を感じ、またそのような周囲の人の扱いから自己価値の低下なども生じ、それらの作用によって急激に低下した自尊感情を回復させるために、具合が悪くなって他人に心配してもらう(気にかけてもらう)という選択肢が半ば自動的に選ばれ実行されたというように解釈されると思われます。
このように病理利得には無自覚に生じるという特徴があります。

恐らく最初のうち母はとても心配したはずです。なぜなら母は子どもの病気に対して、むしろ過剰に反応するようなタイプだったからです。
しかしこうしたことが毎日のように繰り返させるうちに、だんだんとウンザリしてくると共に、何となくでも病理利得的な因果関係を感じ取るようになり、そのため具合が悪くなる私に対して「いい加減にしなさい」という気持ちから怒りを顕わにするという態度にまでなったのではないかと推測されます。

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