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自己分析・自己治療のテーマとした症状:

間主観性の軌跡―治療プロセス理論と症例のアーティキュレーション』の症例を読んでいるときにたびたび生じた、エディプス葛藤による?競争心を顕わにした空想

自己分析・自己治療を行う前の解釈:

このところ訳もなく感じていた羨望と関係があるのでは?

自由連想法による自己分析・自己治療:

クライン派の精神分析の理論では、羨望には2種類あり、1つは意識的な羨望、もう1つは無意識的な羨望で、その羨望の底には「羨望により相手を傷つけてしまうことへの罪悪感」があると
私の場合の羨望は意識的というよりも、以前は意識されることが少なかったが自己分析を始めてから意識されるようになり、それから自分の羨望に苦しめられるようになった
なぜなら羨望を感じることは苦痛を伴うから
羨望への苦痛…上述の罪悪感と関係があるのか?
(目を閉じて今一度羨望を感じてみる)
自己分析のテーマとした「競争心顕わの空想」を思い出す
議論に打ち勝ったことで相手をやり込めてしまった感じ
なるほど、苦痛は確かに罪悪感からきていた…
しかし初めから相手をやり込めたくて議論したわけではない
自分の考えが正しいことを証明したかった
「自分の考えの方が」ではなく、「自分の考えが」だ
対抗心からではない
しかし空想の中では相手が挑んできた、「私は間違っている」と
それに反発しただけ
売られた喧嘩を買っただけ
だとしてもこれは自分が作り出した空想だ
つまり自分のある部分が、「自分らしい」と感じている自分に対して戦いを挑んでいることになる
なぜ自分の足を引っ張らねばならないのか?
興奮…議論して相手を打ち負かそうとしている瞬間、興奮のようなものを感じている
ん?結局、相手を打ち負かそうとしていて、そのことに興奮を覚えている?
なるほど、相手を打ち負かすということは、素直に気分がいいことなのか☆ 知らなかったw
では罪悪感は?
植え付けられたもの、社会から取り入れたもの
母親の「そんなことしちゃ、いけません!」
ん?この言い方ではそんなに傷つかない
「恥を知りなさい!恥を!」
恥?何に対する恥?
ん?私が恥ずかしいのではない…恥ずかしいと感じているのは母親の方だ
つまり「恥を知りなさい」とは、「私と同じように、あんたも恥を感じなさい」という要求だ
つまり競争に打ち勝つこと、競争心を燃やすこと自体は本来興奮を覚える心地よい感覚で、相手を打ち負かしてしまったことから生じる罪悪感は「親や社会からの期待の取り入れ」だったんだ
もしかしたら、これまで羨望と思っていた感情は、実は健全な競争心の表れに過ぎなく、それが取り入れられた罪悪感により「悪いもの」とされていたのでは?
そもそも羨望という言葉自体が否定的なニュアンスを持っているわけだし

自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察

羨望・競争心への罪悪感

自己分析・自己治療を始めてからというもの私は羨望*に苦しめられてきました。なぜなら今まであまり意識されることのなかった羨望を強く意識するようになることで、他人を妬むことから生じる怒りを感じ罪悪感に苦しめられるためです。
また私は他人に競争心を抱くことにも苦痛を感じます。なぜなら競争心を抱いた瞬間、羨望にも似た情動を感じ、そのため羨望と同様の罪悪感に苦しめられるためです。

羨望・競争心の受容

しかし今回の自己分析により、羨望と競争心とはまったく別の心理であり、さらに競争心とはそれ自体決して罪悪感を感じるような悪い心理ではないことを知りました。
これまで競争心や羨ましさを感じるだけで自分が酷い人間だと思っていたことから考えると、今回の自己洞察は自己受容という点でとても大きな収穫のように思えます。
*ここでの羨望は、精神分析とくにクライン派の理論における羨望を示しています。
精神分析で使われる羨望とは、自分が持ち得ないもの(物・才能・他者からの賞賛など)を他人が得ていることへの激しい妬みから、相手の所有物を破壊または剥奪したい衝動に駆られる心理を表しており、一般的な意味での羨望の「憧れ」のニュアンスはありません。
憧れの心理には羨望とは別の理想化という言葉が当てられています。

「羨望」についての心理学的考察本

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