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自分がギフテッドと呼ばれる存在だったことを知る@NHK「クローズアップ現代+」

1ページ目ではNHK「クローズアップ現代+」のギフテッド特集を見て初めて自分がそれに該当することを知ったことと、その概念に基づき自分の半生を簡単に振り返ってみました。
そこで2ページ目では、自分がなぜ高い知能を活かすことができなかったのか考察してみたいと思います。

同番組やそのサイトに掲載されている当事者のアンケートでは、ギフテッドの人々が能力を活かし切れない要因を社会が適切にサポートできていない、つまりギフテッドの人々は理解に欠けた社会の犠牲者との考えが支配的なようでした。
また同様の考えから、ギフテッドの人々の能力を活かすことは社会的な責務である点も強調されていたような印象も受けました。

しかし私自身の人生を振り返ると、大事な場面における不適切な選択がいくつも見受けられることなどから、この社会の犠牲者との認識には違和感を感じます。
今回はその選択の誤りを主に学力の点から振り返ってみます。

地理が最も得意なのに理数系の進路を選択してしまった

1ページ目にも記述しましたように、私は棋士の加藤一二三さんと同じく文系科目が得意な人間でした。
中でも最も得意なのは地理で、毎日地図を眺めていても飽きないような子供で、またその地図を使って独自のルールに基づくゲームを編み出し、それで遊んでいたりもしていました。

ところが私は中学の選択教科を理系の科目にしてしまいました。その理由は当時の風潮として成績の良い人は理系に進むとのセオリーが存在したためです。
もっともその進路は親や担任から強く勧められたものではなく、何となくではあっても自らの意思で選択したものでした。

こうして当時の学校の風潮に流される形で何となく理系の道に進んだ私は、高校に入ると物理などを選択しましたが、まったく興味がないことなどもあって英語と共に度々赤点を取り、補習などによって何とか及第点の評価をもらうことを繰り返しました。

と同時にその一方で、今となってはミスなのか確信犯なのか定かではありませんが、模試でなぜか理系科目の代わりに地理を選択し、学校でほとんど学習していない科目にも関わらず60近い偏差値の評価を得ました。
当時の私の平均学力が偏差値40程度であったことを考えると、この数値は異例の高さと言えるでしょう。

こうして得意でもなく興味もない科目を特に明確な目標もなく漫然と学び続けた結果、一浪してもどこの大学にも合格できず、最終的に専門学校の建築設備コースに入学しました。
これが学力に関する私の学生生活のあらましです。

自分の人生に対する他人事のような無関心さ

上述の私の進路選択を振り返ってみて感じることは、自分の人生に対するまるで他人事のような無関心さです。
具体的には自分が興味があることや得意分野を見定め、それに社会の実情を加味してキャリアの一要素たる進路を選択するという視点が、まったくと言って良いほど欠けていました。

もしこのような私のケースでさえも、冒頭で紹介したような社会の適切なサポートの欠如が原因とするなら、保護者である親や教育者には本人に代わってその子の能力や適性を的確に見定め最適な進路に導いてあげる責任があることになるでしょう。

しかし今日の主体性を重視する価値観からすれば、そのような親や教育者の態度は、むしろ子供の主体性を奪い取り、他者の指示や判断なしには何もできないまま大人になってしまうなど社会適応を困難にする不適切な関わりと言えるでしょう。

以上の考察から、学生時代の私のキャリア形成の失敗は、周囲や社会の適切なサポートの欠如というよりも、私自身の選択の拙さにあり、その背景には「主体性が高い人と乏しい人との主な違い」で詳しく検討した主体性の欠如が根本的な原因として存在していたのではないかと考えられます。

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