自己中心的ゆえの共感能力の欠如〜『父の逸脱』との共通点その2
『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』の著者のラファエルさんの父親と、私の母の共通点として、自分の身に起こることを過大視し、子どものそれを軽視する自己中心性の病理が、子どもの気持ちへの共感能力の欠如を生み出している可能性を分析しました。
『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』の著者のラファエルさんの父親と、私の母の共通点として、自分の身に起こることを過大視し、子どものそれを軽視する自己中心性の病理が、子どもの気持ちへの共感能力の欠如を生み出している可能性を分析しました。
『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』の著者のセリーヌ・ラファエルさんが教師から「この子には才能がある」と言われたことは私にも似たような経験があるため、その点を手掛かりに虐待レベルの厳しい躾を生む親の自己愛的な心理を考察しました。
北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子さんが、もっぱら母親のことを憎んでいたことと、私も子どもの頃に同様の心理状態だったことから、人は極度の恐怖心を感じる人に対しては怒りさえ感じることができないのではないかと推測されます。
前回の自己分析の記事を公開した時の自分自身の反応から、これまで自分はそれほど対人依存の強くない人間だと思っていた自己評価が、実は思い込み、あるいはやせ我慢に過ぎず、実際は自分の考えを誰かに受け入れてもらえることを期待する、つまり承認欲求の強い人間なのだと分かりました。
夢の内容から外れてしまった感はありますが、その夢から「精神のノマド」的な生き方が加速していった結果、これまで以上に他人の評価が気にならなくなってきており、そのことが生きたいように生きるという意味での個性につながっているとの自己分析ができました。
参加したあるイベント会場が、思いを同じくする人ばかりがったため、その環境に安心しきって持ち前の自己愛的な誇大感を噴出させ、その場に居ない人々のことを蔑むような発言を繰り返してしまいました。ですからもっとアウェアネス(自己観察力)を働かせねばと痛感しました。
子どもの頃は具合が悪くなった私に怒りを顕わにする母のことを相当恨んでいましたが、今になって当時の私には具合が悪くなって他人に心配してもらう(気にかけてもらう)病理利得が生じていた可能性を考えるようになりました。
若い頃の営業の仕事のエピソードから、他人の心をネガティブな方向に邪推し、その邪推したことが実際に起きるように相手を促すことで自ら不快な状況を作り出してしまう被害妄想の傾向を分析しました。
幼稚園の頃の、食事にまつわる、今日ならハラスメントや精神的虐待と受け取られかねないような辛い体験を綴っています。
美大で学ぶ姿勢の変化が心理状態にもたらした影響の自己分析から、「何かに関心が集中すると他者評価欲求が高まり、分散するとそれが低下する」旨の仮説を立てました。