極度の恐怖心を感じる人に対しては怒りさえ感じることができない〜『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて』との共通点

北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子さんが、もっぱら母親のことを憎んでいたことと、私も子どもの頃に同様の心理状態だったことから、人は極度の恐怖心を感じる人に対しては怒りさえ感じることができないのではないかと推測されます。

「精神のノマド」を実践してきたつもりが、実は承認欲求の強い人間だった

前回の自己分析の記事を公開した時の自分自身の反応から、これまで自分はそれほど対人依存の強くない人間だと思っていた自己評価が、実は思い込み、あるいはやせ我慢に過ぎず、実際は自分の考えを誰かに受け入れてもらえることを期待する、つまり承認欲求の強い人間なのだと分かりました。

他人の評価を気にしなくなることで、結果的に個性的になっているのかもしれない

夢の内容から外れてしまった感はありますが、その夢から「精神のノマド」的な生き方が加速していった結果、これまで以上に他人の評価が気にならなくなってきており、そのことが生きたいように生きるという意味での個性につながっているとの自己分析ができました。

味方ばかりの環境で気が大きくなり反対派を蔑みこき下ろす~自己愛性パーソナリティの自己分析

参加したあるイベント会場が、思いを同じくする人ばかりがったため、その環境に安心しきって持ち前の自己愛的な誇大感を噴出させ、その場に居ない人々のことを蔑むような発言を繰り返してしまいました。ですからもっとアウェアネス(自己観察力)を働かせねばと痛感しました。

子どもの頃の会食恐怖症などの症状は、他人から気にかけてもらうための病理利得だった可能性がある@自己分析

子どもの頃は具合が悪くなった私に怒りを顕わにする母のことを相当恨んでいましたが、今になって当時の私には具合が悪くなって他人に心配してもらう(気にかけてもらう)病理利得が生じていた可能性を考えるようになりました。