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フランスで話題となった『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』という本

前回、フジテレビの『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて』に登場した犯罪者の息子さんと子どもの頃の私との間に、親に対する気持ちに関して共通点があることを自己分析しましたが、一昨日見た「NHKニュース おはよう日本」でも同様のことが生じました。
それは「けさのクローズアップ」というコーナーで取り上げられた『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』という本についてのものでした。

子どもへの期待 なぜ虐待に?|けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本
(先ずはリンク先の記事をご一読いただけますでしょうか)

同書は著者のセリーヌ・ラファエルさんが、子どもの頃に父親からピアノ教育を強制された頃の苦しみを綴ったものです。
当時のセリーヌさんは父親の勧めで始めたピアノで目まぐるしい才能を見せ、さらに教師から「この子には才能がある」と言われたため、我が子を一流のピアニストにすべく虐待レベルの猛特訓を始めた父親に苦しめられることになったようです。

「この子には才能がある」という呪文

このセリーヌさんの生い立ちと重なる部分が私の人生にもあります。それは教師から「この子には才能がある」と言われた部分です。

小学2年生の時に受けた知能テストで私はIQ130と診断されました。
実はこの程度の知能指数の子どもはクラスに1人くらいは必ずいるらしいのですが、それでもなぜか母が担任に呼ばれ、個室で「この子には特別な才能がある」と言われました。
その時の母が異様に興奮していたのを覚えています。

この時からでした。私の成績が少しでも振るわなかったり、やる気を示さないと「あんたはやればできる子なんだから」と言い続けるようになったのは。
幸いセリーヌさんの父親ほどの虐待には至りませんでしたが、それでもいつも口やかましく言われるものですからウンザリして来て、いつしかそれまでは決して嫌いではなかったはずの勉強がどんどん嫌いになり、母の期待とは裏腹に成績は落ちる一方となりました。

親の誇大感が子どもの才能を過信させる

私の知る限り、芸術や学業、あるいはスポーツなど、どのような分野においても、子どもの頃に才能を片鱗を見せた人が努力を惜しみさえしなければ、必ずその分野で一際秀でた存在になれるというものではありません。

しかしセリーヌさんの父親や私の母はそうは思わず、教師というその道の専門家から将来を約束された、お墨付きを得たと勘違いしたため、才能があるのに成果が出ないのは偏に努力不足が原因に違いないと確信し、それで怠け癖を正すために厳しい躾へと走ったのではないかと推測されます。

また子どもに才能があると分かった途端に、すべての親がセリーヌさんの父親レベルの厳しい態度をとるわけではないことを考えると、そのような態度をもたらす個別的な要因があると想定されます。
私はそれは誇大感ではないかと考えています。

誇大感とは?

誇大感とは私の専門領域である病理的な自己愛で顕著に見られるもので、現実と著しくかけ離れた自己評価や他者への過剰な期待を抱く心理ですが、後者では他者評価が過大となっています。

この誇大感が生じている時には、何かポジティブな出来事が生じると、たちまちそれに関するバラ色の空想で心の中が埋め尽くされ、さらにその内容が単なる空想ではなく100%実現可能なものと確信される、つまり空想と現実の区別が曖昧になります。

このように誇大感を抱いている人は、自身の思い描く空想は必ず実現するものと確信していますので、その実現に邁進することになります。
これが常軌を逸した厳しい躾へと繋がったのではないかと考えられます。

誇大感を抱きやすい人は同時にストレス耐性も低い傾向がある

また誇大感を抱きやすい人は、総じてストレス耐性が非常に低いことも知られています。
そのため些細な出来事でも傷つき気分が落ち込みがちとなり、さらにその気分の落ち込みに耐える力も乏しいため、その鬱々とした気分から逃れるためのポジティブな体験を常に必要としてます。
この考え方からすれば、誇大感は嫌な気分を吹き飛ばすために生じる症状であると言えます。

このような誇大感を抱きやすい人の特徴を加味すれば、セリーヌさんの父親や私の母の行動は、自らの心の不全感を解消するための手段と考えられなくもありません。

心理的な境界の曖昧さが、親の過剰な躾を加速させる

また親の気分の解消のために子どもが利用される現象は、自己愛的な親子関係では広く見られますが、これには自己愛的な人の別の特徴である自他の心理的な境界の曖昧さが影響しているものと考えられます。

自己愛的な人同士の人間関係では、物理的には他人同士であっても、心理的にはその境界が非常に曖昧なため、相手に関わる出来事が自分事として感じられ、それゆえ必要以上に干渉しがちになります。
そのため自分が思い描く理想の子どもにするために、強迫的なまでその理想を押し付ける行為へと駆り立てられることになるのではないかと考えられます。

詳しくはカウンセリングのサイトの記事「過干渉に陥りがちな親の心理の特徴〜自己愛講座36」の「共生期の親にとって子どもは心理的には自分の一部、あるいは融合した存在」の項目をご覧ください。

自己愛的な親子関係の問題は、親のみにその要因を求めることはできない

最後に前述の文章で自己愛的な人同士と、親の心理に限定していないのには理由があります。
精神分析の知見では、自己愛的な親子関係には子どもの側にも自己愛的な親に利用されやすい傾向があること指摘されており、そのような傾向を有した子どもの特徴はアリス・ミラーの『才能ある子のドラマ』などに綴られています。

詳しくはこちらもカウンセリングのサイトの3つの記事をご覧ください。
才能ある子のドラマ/アリス・ミラー-抑うつ的な自己愛性人格障害の理解に
生まれつき親や他人の期待に非常に敏感で、その期待に必死に応えようとする良い子~自己愛講座29
生まれつき親のニーズを敏感に感じ取る能力を備えた子どもが支配的な親のターゲットとなる~『新版 才能ある子のドラマ』より

参考文献

セリーヌ・ラファエル著『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』、新泉社、2017年

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