夢:
母親と街を歩いている。私のお勧めのカフェに案内するが、あまりお気に召さなかったらしく文句を言われる。
母親がもう帰るというので、まだ抹茶ラテを残っているがカフェを出る。
商店街の入り口に和菓子屋さんを見つけ、嬉々として母親が立ち寄る。
「お兄ちゃん、チョコ団子食べるかい?」
「いや、いい」
「じゃあ、○○は?」
「いや、いいよ」
「本当に食べないの?」
「うん、母親さんだけ買ったらいいよ」
「そうなの…」
夢から醒めたときの気持ち:
自分と同じ願望を私にも持つように強要する母親への苛立ち
自由連想法による夢分析・自己治療:
お腹一杯なので何も食べたくなかった
それにもかかわらず母親はしつこく食べないのかと聞いてきた
食べたいのは自分の方だろう?
ん?もしかしたら、自分だけ食べたいのだと食いしん坊みたいに見えるから私も巻き込もうとした?
「まるで私が食い意地が張ってるみたいじゃない」「私に恥をかかせないで頂戴」ということか
赤信号、みんなで渡れば怖くない
まあ別にそこまで悪いことじゃないけど
今までは母親の自己愛障害のことばかり考えていた
私に対して「何でも自分と同じ望みを持っている」との思い込みを抱き、自己愛の延長物のような扱いをしていたと
しかし今回の自己分析では、母親が私を自己愛の延長物として扱う理由らしきものが浮かび上がってきた
自分だけがその願望を持っているは恥ずかしい、だから私にも同じような願望を持っていて欲しい
恥を防衛するために私を自己愛の延長物として扱う心理が働いた
そうすれば恥をかかずに済むから
自由連想法による夢分析・自己治療からの洞察
恥の防衛としての自己愛の延長物
これまでの自己分析により洞察された、母親が私を自己愛の延長物として扱う心理*について、そのような母親の心理は恥の防衛によるものであることが示唆されました。
*関連ブログ:
母親の自己愛の延長物-自由連想法による夢分析35回目
母親の自己愛の延長物と偽りの自己-自由連想法による自己分析61回目
自己愛性パーソナリティ・自己愛性パーソナリティ障害の恥への恐れ
精神分析の理論では、自己愛性パーソナリティの人々が抱える中心的な葛藤は恥であるとされています。
恥をかくことを極度に恐れる、それが自己愛性パーソナリティの特徴で、特に自己愛性パーソナリティ障害の人々は、ほんの僅かの恥の感覚にも耐えられないために、DSM-4の自己愛性パーソナリティ障害の項に列挙されているような他者から見て傲慢な態度を示すと考えられています。
恥の防衛による二重パーソナリティ?
確かに母親は恥をかくことに、とても敏感なように思えます。ひどく世間体を気にするためか、家庭の中と外とでは態度が豹変し、そのあまりのギャップに二重パーソナリティなのでは?と疑うときがありますので。
自己愛性パーソナリティの恥は罪悪感の防衛?
ところが自分自身の自己愛的性格を自己分析するうち、恥よりも罪悪感の方が遥かに多く洞察されるにつれ、自己愛性パーソナリティの特徴とされる恥への恐れは表面的な心理であり(実際、恥の感覚は簡単に意識できます)、より深層には罪悪感の心理が潜んでいる、したがって恥は罪悪感の防衛に過ぎないのではと思えてきました。
(自己愛性パーソナリティ障害・自己愛障害の精神分析による分析本『恥と自己愛の精神分析―対人恐怖から差別論まで』でも自己愛性パーソナリティの人々が、恥のみならず罪悪感も感じることが指摘されています)
恥は自己愛性パーソナリティの中心的な問題
しかし母親の自己愛障害の心理(具体的には他人を自己愛の延長物のように扱う心理)への洞察から、やはり恥は自己愛性パーソナリティの人々の中心的な問題の一つであるとの思いを新たにしました。
自己愛性パーソナリティ障害 治療・診断ガイド