自己愛家族による罪悪感・愛情を利用した子供の心理的利用と拒絶 目次:
自己主張への罪悪感
自己愛家族
自己愛家族による子供の自己愛の延長物としての利用
自己愛家族による罪悪感を利用した子供の心理的利用
自己愛家族による愛情を利用した子供の心理的利用
自己愛家族による子供の心理的拒絶
自己愛家族は無意識の心理の産物
自己分析のきっかけとなった出来事:
自己主張への罪悪感
新宿ベルクでランチを食べていたときのことです。席を立った際におばあさんが私の荷物を怪訝そうに眺めながら席に座りました。ところが私は注意することができず、代わりに「お年寄りに席を譲るのはむしろ当然のことだ」と自分に言い聞かせました。
しかしこのようなことが実はこれまで何度もあります。その際、あからさまに横柄な態度の人に対してでしたら怒りを感じて注意することができるのですが、そうでない人にはまず無理です。
たとえ自分が不利益を被ったとしても悪気がない相手に対して自己主張することがとても悪いことのように思えて罪悪感を感じるためです。「自分さえ我慢すればすべて丸く収まる」そのように思えるのです。
これまでも他人に騙されることがあっても、よほど腹が立たない限りはその度に「自分さえ我慢すれば…」と思い諦めてきました、騙される自分の方に非があるのだからと…
どうやら当然とも思える自己主張にさえ抵抗を感じるのには罪悪感が深く関与しているようです。
自己分析からの洞察:
自己愛家族
自己主張への罪悪感をテーマとした自由連想法の中で子供の頃の家族との関係がいろいろと思い出されました。
そして私の家族は俗に自己愛家族と呼ばれる自己愛の強い、もっといえば自己愛障害の親や大人によって支配された家族であることが改めて実感されました。
自己愛家族とは私の家族を例にとれば次のような特徴があります。
自己愛家族による子供の自己愛の延長物としての利用
自己愛家族の構成員である自己愛の強い、あるいは自己愛障害の親や他の家族は自己と他者との心理的境界が曖昧であるため、自分の欲求を「当然」相手が満たしてくれると思い込む傾向があります。
そのため必然的に相手を自分の欲求を満たすために利用(操作)することが多くなります。このような行動が社会的に不適応を起こすまでに重症化した状態が自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性パーソナリティ障害)です。
また自己愛障害の人に利用される相手は、精神分析では自己愛の延長物と呼ばれます。
この自己愛障害の親や他の家族の大人に自己愛の延長物としてもっとも利用されやすいのが子供です。
なぜなら通常の大人であれば他人から自己愛の延長物として、つまり都合よく利用されることに対しては嫌悪感を抱き抵抗を示すものです。世の中の大多数の人は自己愛障害の人の思い通りにはなりません(このことが自己愛障害および自己愛性パーソナリティ障害の人の被害妄想的な怒りを生じさせます)。
しかし子供は別です。子供は腕力がないことはもちろんのこと、親や他の家族の世話がなければ生きていけないような存在です。そのため子供は大人と違い最初から「生きるために」親や他の家族に依存せざるをえない宿命を背負っています。
この最初から強い立場にあり、ある意味弱みを握っている状態が自己愛障害の親や他の家族にとっては、子供を自己愛の延長物として利用するために非常に優位に働きます。
以上のことから、子供は自己愛障害の親や他の家族から自己愛の延長物として最も利用されやすい存在と考えられます。
自己愛家族による罪悪感を利用した子供の心理的利用
次に自己愛家族(自己愛障害の親・家族)が実際にどのようにして子供を自己愛の延長物として扱うかについて考察します。
自己愛家族はあからさまに親や大人の権力・腕力を振りかざして、無理やり子供を自己愛の延長物として利用するとは限りません。私の家族の場合はしばしば子供に罪悪感を生じさせることで間接的に自己愛の延長物として利用することが行われていました。
具体的には子供が自己愛の延長物として機能することを拒否して何らかの自己主張をした場合に、酷く傷ついて見せたり「わがまま」「自分勝手」「親不孝物」といったネガティブなレッテルを張ります。
また子供が親や他の大人の家族の自己愛的な欲求を満たすことが、当然守られるべき家族のルールとして教義化されてもいました。
こうして子供は、自分が親や他の家族の要求や期待に応えないことが親や他の家族を酷く悲しませたり怒らせたりしてしまうことにショックを受け、無条件に親や他の家族の要求や期待に応えるようになり、またそのために自分の欲求や気持ちをどんどん抑圧して最後には麻痺させてしまいます。
これは自分が愛着を寄せ、また世話にならざるを得ない親や他の家族から、自己愛の延長物として以外の生き方はすべて否定されてしまうため、自分の欲求や気持ちやを感じること自体が深刻な葛藤を引き起こすためです。
(冒頭のカフェで感じた自己主張への罪悪感には、この心理が影響しているように思えます)
自己愛家族による愛情を利用した子供の心理的利用
自己愛家族の自己愛障害が重症化しますと、さらに自己と他者との心理的境界が曖昧となるため、自分の欲求が相手の欲求であるかのような錯覚が生じ始めます。このような心の働きは精神分析では投影と呼ばれます。
この投影の心理が自己愛家族から子供に対して働きますと、自らの自己愛的欲求を満たすための行為が(本来幻想に過ぎない)子供の欲求を満たすためのものであり、子供のことを思う愛情の証と勘違いされることになります。
そしてそのことを知らない子供の反応は、自己愛家族には愛情を踏みにじる薄情な態度と映り、激しい叱責を受けることになります。
私自身の例でいえば、母親と世間話で竹の子の話を少ししただけで「私が竹の子を食べたいと思っている」と勘違いされたことがありました。
竹の子の話をしたことなどすっかり忘れていた私が「あれ、何で竹の子ご飯なんて買って来たの?」と聞くと「あんたが食べたいって言ったんじゃないの!」と言われビックリさせられました。そんなことを言った覚えなどなかったからです。
おそらく母親の心の中では「子供が竹の子の話をするのは、きっと竹の子が食べたいからに違いない。だったら竹の子ご飯でも買ってあげればきっと喜ぶに違いない」との考えが生じ、そこに投影の心理が働いて「実際に私が竹の子を食べたいと思っている」との錯覚が生じたのでしょう。
そしてそんなことを知らない私の「わがままで愛情を否定するかのような」反応に母親は怒りを感じたのでしょう。
自己愛家族による子供の心理的拒絶
中には自己愛家族の中で育ってもなお、己の欲求を放棄することのない精神的に非常にタフな子供もいます。弟がその例です。
弟はその生涯が(親や家族から見れば)まるで反抗期であるかのように親の言うことをほとんど聞かなかった、言葉を換えれば自己愛家族の自己愛の延長物として機能することを拒絶したため、しまいには親の方が「この子には何を言っても無駄」と諦め何も言わなくなり、つまり放任主義になってしまいました。
母親や祖母は弟のことを「あれはどうしようもない子だ」言うようになり、私もよく愚痴を聞かされました。
私が思うに弟は親や家族から心理的に拒絶されたのだと思います。自己愛の延長物としての利用価値がないため見捨てられたのだと思います。自己愛の延長物は私一人でも十分でしたでしょうから。
その後弟は家族から見れば反社会性パーソナリティとでも呼べるような、とても向こう見ずな性格の人間に育ちました。
自己愛家族は無意識の心理の産物
このブログを読まれた方が、私の家族や他の自己愛家族の方がとても性格の悪い人間のように思われたかもしれませんので若干補足させていただきます。
ここに書かれている自己愛家族の方の心理は、そのほとんどが無意識の作用によるものであり、したがって意識的に行われているわけではありません。つまり無意識の心理(衝動)に突き動かされて自己愛的な態度や行為に及んでいるに過ぎません。
例えば私の家族は世間体がよく、とても温厚な性格です。誰も我が家が自己愛家族だとは思わないはずです。
もっともこれは自己愛家族の病理が周囲から巧妙に隠されている証とも言えるのですが…
自己愛家族の心理 心理学的分析本
家族療法による家族の治療ガイド本
自己愛性パーソナリティ障害・自己愛障害の治療・心理学的分析本