今回の記事は「私説:個性とは意図的に作り出すものではなく、人生経験の中でいつの間にか形成される誰もが持っているもの」の最後で触れた、この世に二人として同じ人間はいないという意味で、誰でもその人なりの特徴(=個性)を持っているにも関わらず、その有無に悩んだり、あるいはある人は個性的と感じられるのに別の人はそうではないと感じられている時の「個性」の中身について考察します。
今回はその第1弾として前者の、あるはずのものの有無に悩むという不思議な現象について取り上げます。
自尊感情と深く結びついた感覚ゆえ、肯定的なものにしか個性は感じられない
「個性」にこだわることの自己愛的な落とし穴〜自己愛講座31でも紹介しましたように、個性の辞書的な意味は他と違っていることです。
つまり違ってさえいれば、それは個性と見なされます。
ですから、この世に同じ人間はいないということをもって、誰でも個性を有していると言えます。
しかしそれでも個性がないと感じられることがあるのは、自分の個性という感覚が自尊感情と深く結びついたものだからではないかと考えられます。
個性とは価値観を含んだ実質「長所」に近い概念
少なくても日本で個性という言葉が使われるとき、それはもっぱら肯定的な要素に対して使われているように思えます。
つまり実質的に長所に近い使われ方です。
一見そうではないように思える、空気を読まないマイペースな人に使われる場合でも、そこには「そんな風に振る舞えて羨ましい」「自分もできることならそうしたい」などとの羨望の心理が潜んでいます。
自尊感情が高まれば自ずと個性も感じられるようになる
だとすると、自分は何の取り柄もない人間だと思っているような人は、たとえ人と異なる点があったとしても、それを個性とは感じられないことになります。
これが個性が自尊感情と深く結びついているということです。
ただ違っているだけでは不十分であり、そこに「優れている」など何らかの価値と、それに伴う自尊感情を感じられないと自分の個性とは認識されないのです。
その意味で個性の有無とは自尊感情の有無と言い換えることさえできるかもしれません。
つまり自分には個性がないと悩んでいる人の本当の悩みは、自分に価値が感じられないという自尊感情に関わる悩みであるということであり、その価値を見い出すことができれば、自ずと個性も感じられるようになるということです。
まただからこそ「誰もがこの世でただ一つのユニークな存在」というような自己啓発的なメッセージを受け取っても、それが役立つ人とそうではない人とが出てくるのではないかと考えられます。