今回の記事は境界性パーソナリティの特徴として最もよく取り上げられる見捨てられ不安の特徴を、これまで同様ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公、今日子の心理を例に考察します。
またその「見捨てられ不安」の心理やそこから生じる行為を、自己愛性パーソナリティと比較致します。
強い依存心は自己愛性パーソナリティの人にも生じる
まず『きみが心に棲みついた』の主人公が吉崎や元彼の星名に対して生じている強い依存心は境界性パーソナリティ特有のものではなく、自己愛性パーソナリティの人にもよく生じます。
「理想化-価値下げ」の防衛機制が強い依存心を生じさせる
そしてその際に自己愛性パーソナリティの人の心に生じているのは、自己愛講座8でも取り上げた「理想化-価値下げ」と呼ばれる防衛機制であると考えられています。
その作用機序は典型的には次のようなものです。
1. 何かショックなことがあり極度に落ち込む。
2. 自分が何の価値もない人間に思えて来る(自分自身が「価値下げ」される)
3. 普段から他人との比較に心を奪われているため、自分が価値下げされたことで、劣った自分と比較して他人を「理想化」しやすくなる。
4. そのような時に「たまたま少しでも」優しくしてくれた人がいると、その人のことを極度に理想化し、あらゆる良い性質を完璧に備えた存在と錯覚する。
5. さらに今自分が非常に辛い状態であることから、この状況から救い出して欲しいとの願望を投影し、何でも望みを叶えてくれる存在とも錯覚する。
これらの作用機序により相手を「自分のためだけの」救世主のように錯覚することが、自己愛性パーソナリティの人の対人依存の典型的なパターンと考えられています。
またこの「自分のためだけの」という錯覚が、束縛や病的な嫉妬といったストーカーやDVの心理を生み出す要因ともなります。
境界性パーソナリティの人の特徴して挙げられる「見捨てられ不安」と脅かし行為
前述のように強い対人依存自体は自己愛性パーソナリティの人にもよく見られる現象であるため、同じようなことでも境界性パーソナリティの人に特有のものとしてよく挙げられるのが、見捨てられ不安と呼ばれる現象です。
ただこのような不安も自己愛性パーソナリティの人も感じることがあるため、その差は「不安の強さの度合い」と、そこから生じる「行動」面の違いということになります。
両パーソナリティの最も大きな違いは、見捨てられそうと感じた時に取る行動に現れ、それが境界性パーソナリティの人の場合は(文字通りの意味で)なりふり構わないものとなる点です。
例えば境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすほど重症の人の場合は、相手を繋ぎ止めるために自殺の可能性をほのめかしたり、あるいは衝動的に行為に及んでしまうこともあります。
それに対して自己愛性パーソナリティの人が見捨てられ不安のようなものを感じても、なりふり構わずそれを阻止する行動に出ることは滅多にありません。
これはそうした辛い状況であっても、救世主のように理想視している相手から嫌われることへの恐れから、脅かし行為にブレーキがかかるからではないかと考えられます。
このためストレス状態から逃れることができず、抑うつ状態に陥ってしまうのが典型的なパターンです。
またこのことから境界性パーソナリティの人は、自己愛性パーソナリティの人が恐れているような他者評価のことなど気にしていられないほど精神的に追い込まれていると考えることもできます。
具体例〜ドラマ『きみが心に棲みついた』第2話の終盤のシーン
この点はドラマ『きみが心に棲みついた』では、第2話の終盤で星名が同期入社の同僚と非常に親しげに接しタクシーで去ろうとしているところを、主人公が必死に阻止しようとしているシーンによく表れていました。
恐らくこの時の主人公の心の中は、星名を同僚と引き離し自分の元に取り戻すことのみで占められており、それ以外の例えば彼の愛を取り戻すにしても手段を選ばなければ彼から嫌われてしまう可能性や、あるいは普段はストーカー並みの激しい関わり方で思いを寄せている吉崎のことを延々と喫茶店で待たせていることなどまったく意識できなくなっていたはずです。
この『きみが心に棲みついた』の主人公のように、強いストレス下に置かれた時に、あることで頭がいっぱいになってしまう傾向は、これまで述べてきた精神的に追い詰められていることによる余裕のなさに加えて、これまで「『きみが心に棲みついた』は境界性パーソナリティの心理を巧みに描いたドラマ〜スプリッティング編」「スプリッティングは衝動的な行動や絶対服従的な態度を誘発してしまう〜『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に」で取り上げたスプリッティングと呼ばれる心を真っ二つに切り離してしまう防衛機制の影響も大きいと考えられます。
境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」には両極端な解釈が存在する
また前述の境界性パーソナリティの人の、見捨てられ不安から生じる相手を繋ぎ止めるための必死の行為に対する解釈は、臨床心理の現場でも二分されています。
自我心理学における「見捨てられ不安」の解釈
例えば精神分析の中でも、フロイトの流れを汲む自我心理学では、必死の繋ぎ止め行為に対して、そのような脅かしによって相手を自分の思い通りに操ろうとする無意識の支配欲求を想定しがちです。
具体的には、たとえ境界性パーソナリティの人がどんなに苦しい思いからそのような行為に至っているのだとしても、その行為によって無自覚な支配欲求を満たすことができる、そのようなメリットがあるからこそ脅かし行為が繰り返されるというような解釈です。
自己心理学における「見捨てられ不安」の解釈
それに対して自我心理学に対抗するようにして生まれた自己心理学では、同じ現象に対してまったく異なる解釈の仕方をします。
自己心理学では共感を非常に重視しますので、解釈も同様のスタンスで行います(共感的解釈)。
そのため見捨てられ不安が引き起こす行為についても、そこまで必死にならざるを得ないほど精神的に追い込まれている証と解釈し、また自我心理学が想定する支配欲求については、他人から見ればそのように見えるだけであり、決してそのような欲求を抱いているわけではないと、その解釈を退けます。
またこの境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」に対する2つの両極端な解釈を『きみが心に棲みついた』の主人公への視聴者の評価と関連づけると、主人公の言動に対してイライラする人は行為の背後に自我心理学的な欲求を感じ取り、対して同情したくなる人は自己心理学的な解釈を無意識に行ない主人公の辛さに共感しているのではないかと考えられます。
補足)境界性パーソナリティの人は、脅かし行為の他に、相手の愛情や友情を試す行為も、それらが確信できなくなる度に行うことが指摘されていますが、今回は割愛させていただきます。
次回は「見捨てられ不安」とは別に対人依存のあり方全般においても、境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティには大きな違いが見られることから、その点をこれまで同様『きみが心に棲みついた』と関連づけながら考察する予定です。
境界性パーソナリティの心理 参考文献
ナンシー・マックウィリアムズ著『パーソナリティ障害の診断と治療』、創元社、2005年
G.O. ギャバード著『精神力動的精神医学 第5版―その臨床実践』、岩崎学術出版社、2019年