今回の記事は政治に関するものです。とはいえ専門外の領域ですので、これは情報提供を目的としたものでなく、私自身が感じたことを言葉にしたブログです。
私自身の従来の政治に関する考え方
これまで私は、市民の政治参加にとって最も重要な事柄は、選挙権を行使することだと考えていました。
なぜなら選挙で当選した者は絶大な権力を有することになるため、例えばデモなどで抗議することなどよりも、国や自治体にとって相応しい人物を選ぶことが何より重要なことだと考えていたためです。
アメリカにおけるトランプ大統領の度重なる政策変更
ところがアメリカで、この私の考えが覆されるようなことが起き始めています。
昨日、トランプ大統領が選挙公約に掲げ当選後それを実行に移した、自身の移民政策の一部を修正する大統領令に署名しました。
具体的には入国書類なしで米国境を越えた親子を別々に収容する政策を改めるというものです。
参考記事:トランプ米大統領、親子引き離す移民政策撤回 大統領令で – BBCニュース
トランプ氏はこれまで幾度となく内外からの批判により政策を変更して来ました。
このことについて専門家からは様々な思惑が指摘されていますが、裏を読み始めるとキリがありませんので、これらの事態を額面どおり受け止めますと、内外からの継続的な批判が実を結んだと言えそうです。
従来の政治に対する考えの背後に存在する信念に気づく
このアメリカの動きを知ることで、冒頭で述べた私自身の従来の政治に対する考えの背後に存在する信念に気づきました。それは次のようなものです。
人(他人)は変えることはできない。だから最初からその役割に相応しい人物を選ばねばならない。
だからこそ、デモなどしても政策が改められることはないので、まったくの無駄だと考えていたのです。
政治を委ねる人物は就任後も市民が育てて行くもの
ところがアメリカで、そうとは言えないことが起きているため、考えを改めざるを得なくなりました。
私がアメリカの事例から学んだのは次のようなことです。
選挙結果は政治において確かに非常の大きなウエイトを占める。しかしそれですべてが決まるわけではない。実はそこからが新たなスタートなのである。
政治を委ねるに相応しい完璧な大統領や議員を選ぶのが選挙ではない。多分に不完全で未熟な部分を有するそれらの人々を市民が育てて行くのである。
これがアメリカの事例から学んだ、民主政治の1つの在り方です。
政治家も同じ人間であり、共に学んでいく存在
政治家や公務員、国家資格を有する専門職の方などには、とかく高度な人格レベルが要求されがちですが、それらの人々も私たちと同じ人間、つまり様々に至らない部分を有した存在であり、それゆえ共に学びながらその職務に相応しい人物へと成長して行く存在なのではないかと私は思います。