1ページ目要約:虐待などの連鎖論における内在化では、親子関係のあり方がどのような性質のものであったとしても、半ば自動的にその性質が子どもの心に取り込まれると考えられているように、子どもが外界の影響に対してなす術がない非常に脆弱な存在と想定されているように思える。
自身の経験から「虐待の連鎖」論に疑問を持ち始めた
少し前に自己分析のブログに「虐待の連鎖が生じなかった私の人生」という記事を掲載しました。
この虐待や、あるいは自己愛的な性格は、しばしば親から子どもへと引き継がれる(連鎖する)傾向が強いとの見解を目にしますが、私自身もこの見解を少し前までは妥当なものと考えていました。
しかし今回、自分の人生では虐待が連鎖していないことに気づいたことをきっかけに、虐待や自己愛の連鎖、特に前者の虐待が巷で信じられているほど簡単に連鎖するものなのかと疑問を持ち始めました。
そこでこの機会に虐待の連鎖、およびその理論を支える内在化という概念を私なりに再検証してみました。
虐待や自己愛の連鎖の理由づけに用いられる「内在化」という概念
前述のように、虐待や自己愛的な性格が親から子へと連鎖する理由づけに用いられるのが内在化という概念です。
臨床心理、特に精神分析の世界で使われる内在化*の意味合いは、子どもの頃の親との関係がそのまま人間関係の雛形(常識)として子どもの心に取り込まれ、その結果生涯にわたってその人のコミュニケーションのあり方に大きな影響を与え続けるというものです。
*補足) 精神分析の世界では内在化という用語が主に用いられていますが、その他の心理学の分野では内面化という用語の方が一般的なようです。
実際の臨床例でも、クライエントがどれほど苦痛を感じ、あるいは不利益を被っていたとしても、その原因と推定されるコミュニケーションのあり方(考え方や行動パターン)を変えられないというケースに遭遇しますが、このような症例のメカニズムを内在化のという概念がとてもうまく説明できるためか、非常に多くの文献で目にします。
またこのことに加えて、内在化が多くの文献に登場することで信憑性が高いとの印象が生まれ、マスメディアなどを通じて一般の人々の間でも広く知られるようになったのではないかと考えられます。
連鎖論における内在化では、子どもは環境の影響をダイレクトに受けてしまうと想定
しかし連鎖論における内在化のメカニズムについて今一度考察してみると、この概念では子どもが外界の影響に対してなす術がない非常に脆弱な存在と考えられているように思えます。
なぜならここでの内在化では、親子関係のあり方がどのような性質のものであったとしても、半ば自動的にその性質が子どもの心に取り込まれることが想定されているためです。
連鎖論における内在化で想定されている子どもの心理的特徴
したがって連鎖論における内在化では、子どもの心に対して次のような暗黙の前提が存在しているのではないかと考えられます。
・幼少期の子どもにはまだ物事の良し悪しが判断できないため(と想定されているのか)、親の持つどのような特徴も無条件に取り入れてしまう。
・このメカニズムは人間の心の発達過程において必然的に生じるものである。
追記) 加えて、まだ行動範囲が限られているため、親子関係以外の人間関係のあり方を知らない(経験していない)という想定もよく見聞きします。
こうして子どもはかなりの程度親と同じ特徴を有した大人へと成長することになるため、人生においても同じような困難に直面せざるを得なくなる。
これが連鎖論における内在化理論の骨子ではないかと考えられます。
しかし冒頭のリンク先で振り返ったように、学童保育の仕事におけるこれまでの私の子どもとの関わりには、父や母との類似点はあまり見当たらず、むしろ真逆との印象さえ受けます。
そこで次のページでは、内在化に対する私なりの見解を、アタッチメント理論やメンタライジング、プレイセラピーなどの心理療法の理論を援用しつつ述べたいと考えています。