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子どもの関心を奪う行為は、同時に自尊感情や主体性をも奪っている

今回は写真家のHPに投稿しました「子どものアートへの関心は家庭でも摘み取られてしまう…」と関連した内容です。

就職のことだけを考えれば、できるだけそれに役立つことをして欲しいと思うのは親として当然のこと

親も人間ですから、特に危険でもなく、またそれほど害がないようなことでも、自分が好ましくないと思っていることを子どもがすると反射的に「止めなさい!」と否定してしまうことがあります。
冒頭の記事の「絵に関する関心」もそうしたケースの一つです。

さらにそれが「将来」に関わることなら、心配が高じて何としてでも諦めさせようとさえし、そして子供が言うことを聞いて諦めてくれればホッと安堵することでしょう。
同じく「絵に関する関心」も、もし子どもが絵にばかり熱中して勉強をあまりしなければ、芸術一家でもない限り、親は危機感を募らせるのではないでしょうか。

確かに今回例に挙げたケースは、絵描きとして食べて行ける人はほんの一握りに過ぎませんので、親の心配は至極もっともですし、また勉強して偏差値の高い学校に行った方が就職に際して何かと有利な点が多いのも事実だと思います。
しかしこれは就職のことだけを考えた場合の話で、心理的な影響という観点からはあまり好ましいこととは言えません。
それは次のような深刻な状態を子どもに引き起こす可能性があるためです。

子どもの関心を奪う行為は、同時に自尊感情や主体性をも奪っている

何にせよ子どもが関心を持っていることを止めさせた場合、それは暗に次のようなメッセージを伝えていることになります。

「そんなものを好きになるなんて、お前の感覚はおかしい、間違っている」
「そんなものをしたいと思うなんて、お前の考えや判断はおかしい、間違っている」

その結果、聞き分けの良い「良い子」はそれを鵜呑みにして次のような信念を形成して行きます。

私の感覚はおかしい、考えもおかしい、きっと何もかもおかしいに違いない、自分を信じてはいけない…

こうして表面的には従順でとても良い子に見えても、内心は自己不信感自己嫌悪に満ち満ちた子供に育ってゆきます。

こうした自己不信感や自己嫌悪で充満した心では、自尊感情など芽生えようがありません。
また自分が信じられないのですから、自分で何かを考えたり行動したりする主体性も備わることはありません。
できるのは親をはじめとした誰かに盲目的に従うことだけです。

実際、このようなケースの親の心配は「子どもの選択に任せておくと将来大変なことになる」との考えから生じており、これは裏を返せば子供の判断能力を信用していないということです。
このような親の信念は、たとえ明確にはなっていなくても、非言語的メッセージとして子供に伝わってしまうことが多々あります。

さらに脅かすようなことかもしれませんが、こうした自尊感情や主体性を奪うような行為が繰り返されますと、先日紹介しましたR.D.レインの「ひき裂かれた自己」で描写されている、今日では統合失調症と呼ばれる精神病水準の深刻な精神疾患やその前段階のシゾイドと呼ばれる性格構造を形成する可能性を高めることになると言われています。
なぜならこうした状態は自分がしっかりと確立されていないために、自分(私)という存在がこの世にしっかりと存在しているという感覚さえ信じられないことがもたらすものだからです。

今回の話は必ずこうなるということではありませんが、頭ごなしにせよ説得にせよ、子どもの関心を無理に奪うような行為は、同時に自尊感情や主体性をも少なからず奪っていることを気に留めていただければと思います。
また子どもの考えや行動を否定すればするほど、レインの本に書かれている恐ろしい状態を引き起こしかねないことも併せて留意していただければと思います。 

ではどうすれば良いのか?
それはもちろん可能な限り(条件が許す限り)子供の関心を尊重することが、健全な発達のことを考えれば一番だと思われます。
しかしそんなことをすれば過保護になってしまうとご心配の方もいらっしゃると思いますので、次回のこのテーマはこの過保護の是非について書かせていただく予定です。

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