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私説:現代人の感じる疎外感の一因は「視覚」偏重の知覚様式にあるのでは

今、写真の展示のために「視覚」に関する本をいろいろと読んでいますが、アラン・コルバンという歴史学者の『風景と人間』という本に、次のようなことが書かれていました。

風景を前にして、ひとは一定の場所で配置につき、目を凝らします。観者の身ぶりはすべて距離に依拠しており、いわゆる風景を凝視するとき、われわれは空間に直面すると同時に、空間の外部に身を置いているように感じます。風景を眺めるひとにとってこの空間は一枚の絵、つまり何か自分とは無関係なものになるのです(P.20-21)。

この「一枚の絵」「自分とは無関係」の部分について、腑に落ちる人もいれば、そうではない人もいるかと思います。

自他の境界を際立たせる視覚と、外界とのつながりを維持する他の知覚

私見ですが、ここでの凝視とはもっぱら視覚のみを働かせて、聴覚・身体感覚など他の知覚が蚊帳の外に置かれてしまっている非常に偏った知覚状態を指し、それゆえ「一枚の絵」と表現されているように生気が失われてしまっているのではないかと考えられます。
そしてその一方で、この記述が腑に落ちない人は、風景を見ていても視覚以外の知覚も活用しているため、目の前の光景が絵のように平板なものとしては感じられないのではないかと考えられます。

これらの違いは実際に外に出て周囲を見渡していただくと、お分かりいただけると思います。
たとえ目の前の光景に移動するモノが存在しない、つまり静止画のような光景が広がっていたとしても、視覚以外も機能していれば生命の気配が何となくでも感じられるはずです。

ですからもしこの推測が正しければ、視覚とは自己と他者(外界)との境界を際立たせることで両者を分離させ、その他の知覚は外界とのつながりを維持する作用を持つと考えられます。

「視覚」偏重の知覚様式が現代人の孤独感や疎外感を生み出しているのでは

この本にも書かれていますように、現代人は視覚偏重の状態にあり、別の文献では情報の90%以上を視覚から得ているとの調査結果を目にしたこともあります。
また現代人は物理的には孤立していないにもかかわらず、孤独感や疎外感を感じる人が多いとも聞きます。

これまでこの孤独感や疎外感に関しては、主に自己愛の理論など臨床心理の側面から考察して来ましたが、今回のコルバン氏の文章を目にしたことで、これらの感覚をもたらしている要因はそれだけではなく、視覚偏重の知覚様式もその一因ではないかと思えてきました。

引用文献

アラン・コルバン著『風景と人間』、藤原書店、2002年

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