前回の記事「自閉スペクトラム症の人の知覚過敏の特徴が周知され偏見が少なくなることを期待」の中の「自閉スペクトラム症の身体的な特徴が知れ渡ることにより、誤解や偏見が少なくなることを期待」旨の記述は、日本の身体疾患と精神疾患に対する印象の大きな違いを意識したものでした。
今回はこの違いについて書きます。
身体疾患は「不運」であることから同情の対象となり、精神疾患は「自己責任」とされる
あくまでステレオタイプ的な話ですが、日本では身体疾患を罹患した人は何も悪くないのに不運に見舞われた可哀想な人と思われ同情の対象になるのに対して、精神疾患に罹患した人は性格の問題であることから自己責任とされる傾向があるように思えます。
ですから前回、自閉スペクトラム症が視覚・聴覚・触覚その他の過敏性を伴うことが多いものであることが周知されていけば、世間一般の発達障害の人へのイメージが「性格に問題を抱えた人」から「身体的な問題で苦しめられている人」へとシフトしていくのではないかと考えました。
ですが問題の根幹は上述のような身体疾患と精神疾患に対する正反対とも言える印象の違いにあると考え、今回はそのこと自体を問題視します。
身体疾患の罹患は「不運」などではなく生活習慣が大きく関係している
まずは身体疾患の罹患を「運が悪かった」こととして済ませようとする傾向についてですが、これは大きな誤りと考えられます。
今日では様々な病気と生活習慣との関連が明らかとなり、喫煙や飲酒の習慣、食生活、運動、生活リズム、睡眠、ストレスなど日常生活の様々な要素と病気の発症率との間に相関関係があることが指摘されています。
恐らくここに挙げたすべての要素について「健康的な生活を送っている」と胸を張って言える人はほとんどいないのではないでしょうか。
その意味で大多数の人は何らかの領域で不健康な生活を送っており、その結果病気の発症率を高めてしまっていると考えられることから、単に「運が悪かった」などとはとても言えないはずです。
性格は周囲の環境との相互作用により形成される
続いて精神疾患に話を移します。
前述のように精神疾患に関しては、もっぱら当人の性格の問題とされる傾向がありますが、こちらも恐らく誤りです。
まずその性格に関してですが、心理学を勉強された方でしたらご存知のように、人間の性格は本人の努力のみによって形成されるのではなく、気質と呼ばれる元からある大雑把な性格傾向と、その後の人生における親その他の他者との人間関係からの影響の相互作用により形成されるとの考えが一般的で、特に後者の影響が大きいと考えられています。
ですから性格に対して自己責任論を持ち出すのは適切ではないと考えられます。
精神疾患に100%「自己責任」はあり得ず、必ず周囲の環境の影響を受けて生じる
また精神疾患がもたらす様々な症状も、ほとんどの場合その人個人の事情のみにより生じるのではなく、外界の出来事がストレスとなり、その反応として生じるものです。
つまり精神疾患の症状とは状況に対する反応であり、周囲の状況にまったく関係なく生じるものではないと言うことです。
このことから精神疾患とは、その人の事情のみで発症するものではなく、必ずと言って良いほど周囲の環境の影響を受けて生じるものであることから、やはり自己責任という概念は当てはまらないと考えられます。
次回は「身体疾患=不運」「精神疾患=自己責任」という2つの考え方が生まれた要因について探ってみようと考えています。