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私説:心理療法家が行う解釈とは本来「共感能力」を必要とするもの

今回は、前回の記事の最後で告知した記事を書くための錯覚に関する文献が見当たらなくなってしまったため、予定を変えて解釈に関する私見を書きます。

解釈の「的外れな考えを一方的に押し付ける行為」とのイメージ

解釈とは、すべてではないにせよ多くの心理療法家が用いる手法で、クライエントの心理や行動などに関する推測を伝える行為を指します。
ところがこの心理療法家の行為は、一般社会では必ずも歓迎されておらず、多くの場合「勝手に解釈する」という言い回しに象徴されるように、専門的な立場や権威を利用して的外れな考えを一方的に押し付ける行為のように見なされています。
特に精神分析的な解釈に、このようなイメージが付きまとっているようです。

しかし精神分析の文献に綴られている解釈は、一般に流布しているイメージとはまったく異なるものです。
今回はこのことについて書きます。

精神分析的な解釈は「共感能力」を用いてなされるもの

一般に流布している解釈のイメージとは異なり、少なくても精神分析的な解釈は共感能力を用いて行われます。
具体的には一見理解不能な考えや行為などを、その人にとっては至極理に適ったことと考え、その人が置かれている状況に身を置いて論理を想像してみる。
これがフロイトの時代から一貫して行われてきた精神分析的な解釈です。

共感的解釈の例〜統合失調症の方の妄想

この共感的な解釈の一例として、統合失調症の方にしばしば生じる妄想を取り上げます。

妄想とは、とても事実とは思えないようなことを事実と確信しているような状態を指しますが、この妄想がご本人を不安や恐怖に陥れるとともに、周囲の人とのコミュニケーションの妨げとなります。
そしてこのような妄想の典型例の1つが「他者から操られている」というもので、それは例えば「自分が電波によって完全に操られている」という形をとります。

このような考えは、一般的にはSFの世界だけのもので現実にはあり得ないと信じられているため、その人の考えはまったく意味がない妄想と見なされがちです。
ところが精神分析の中の対象関係論という一派の分析家は、統合失調症のクライエントの妄想を、何とか意味あるものとして捉えようと苦心し、次のような解釈を生み出しました。

・他者から完全に操られている〜自分で自分のことが、少しも思い通りにならないことから生じている

・電波によって操られている〜自分を操っている存在が目に見えない、故にそれは電波のような目に見えないものによってではないかという考え

このように解釈すると、先の妄想が了解可能なものとなり、かつクライエントの置かれた状況の理解や、そこから生じる不安や恐怖を感じ取る一助となるのではないでしょうか。
これが共感的な解釈の効果です。

もっともこのような解釈は対象関係論の専売特許というわけではなく、むしろ流派に関係なく有能な心理療法家によって日々新しく生み出され、それが共有されることでクライエントの心を理解するための重要なリソースとして機能しています。

ですから心理療法家が行う適切な解釈とは、一方的な解釈を押し付ける非共感的なものではなく、むしろクライエントの心の共感的理解に必要な態度とさえ言えます。

最後に対象関係論の入門書として松木邦裕さんの著書を上げておきます。
私の知る限り、精神分析理論をご存知ない方でも理解が可能な唯一の解説書です。

松木邦裕著『対象関係論を学ぶ-クライン派精神分析入門』、岩崎学術出版社、1996年

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