前々回、前回と「自己愛的な人が感情を持たない冷酷な人間との印象を与えるのは誇大モードにある時だけ〜自己愛講座37」と「自己愛的な人が抑うつモードの時は、不安や寂しさに圧倒され非常に強い対人依存が生じることがある〜自己愛講座38」の2つの記事を通して、自己愛的な人の別人と思えるほどの非常に異なる2つの側面を紹介しました。
今回は、自己愛的な人にはこのような非常に異なる2つの側面があるからこそ、周囲の人が巻き込まれてしまうことについて記述します。
なおその巻き込まれ方は、後述する自己愛性パーソナリティ障害の診断を満たすような如何にもナルシスティックな人と、隠れ自己愛と呼ばれる普段はそうした傾向をほとんで見せず真逆の印象さえ与える人とでは大きく異なると考えられます。
このため今回は、前者の典型的な自己愛のケースを取り上げることに致します。
自己愛的な人は不思議と人間関係に恵まれていることが少なくない
自己愛的、つまりナルシスティックな人に対する典型的な印象は、自己愛講座37にも記載したような自己中心的、冷たい、尊大といったもので、これらの特徴は自己愛性パーソナリティ障害の診断項目にも列挙されています。
ですがもし自己愛的な人が、いつもこれらの特徴で示されるような行動ばかりをしていたとすれば、その人は大変迷惑な人として孤立しがちになってしまうでしょう。
ところが実際のケースでは必ずしもそうはなっていません。
この理由を、相談事例の多くがパートナーや恋人の方が多いことから、恋愛関係の事例で説明します。
注)ただしこれから述べる事例は自己愛性パーソナリティ障害の診断を満たすほど重傷域の方のケースであり、自己愛的な人が誰でも他人に暴力を振るったりするわけではありません。
自己愛的な人が時折見せる深刻な抑うつ状態が、相手に「本当は良い人」との印象を与える
相談事例の多くはDVの被害に遭っている方からのものが多いのですが、そのような状況に陥っていてもなお相手のことを愛しているため別れることもできず辛い状況から逃れられないというのが典型的なパターンです。
ですからこうしたケースは多分に共依存の関係にあるように見えますが、そうなってしまう要因の1つに自己愛的な人が抑うつ的な側面も持っており、しかもそれを特定の人に対してのみ見せることが挙げられます。
(加えてその抑うつモードにある時の自己愛的な人の落ち込み具合は、同情せずに置けないほど深刻なものでもあるという特徴も関係しています)
そうした不意に見せる態度が、相手に「私にだけは心を許してくれる(本心を見せてくれる)」「それだけ信頼されている証し」「この人は本当は私の助けを必要としているに違いない」「彼(彼女)を救ってあげられるのは私だけ」「きっとこの人は愛情表現の仕方が不器用なだけで、本当は良い人なのかもしれない」などといった考えを生じさせることになるようです。
注)ただしすべての人が重傷域の自己愛的な人に対してこのような反応を見せるわけではなく、こうした人は他人からの承認や役に立つことが自尊感情を支える上で大きなウエイトを占めており、それが自己愛的な人の態度によって刺激されるからではないかと考えられます。
後から「心から反省」しているような態度を示すことも「本当は良い人」との印象を強化する
またDVを繰り返すような自己愛的な人の多くは、暴力や暴言を振るった後に一見「心から反省」しているような大げさな度を示しますが、この一見真摯に思える態度の存在も「本当は良い人」との印象を強化することに繋がっているのではないかと考えられます。
もっとも後で謝罪されたとしても、同じようなことが繰り返されるのであれば、本当に反省しているわけではないことを見抜かないと、いつまで経っても地獄のようなスパイラルから抜け出せません。
以上簡単にですが、尊大でDVを繰り返すような重症域の自己愛的な人であっても、承認欲求が強い方との間では、それらの態度や行為が容認されてしまうことを提示しました。
次回はもっと多くみられるケースとして、隠れ自己愛の人が周囲の人を巻き込む典型的なパターンを紹介する予定です。