要約:精神分析の防衛規制の「投影」と「投影性同一視」について、自身の臨床経験に加えて間主観性心理学などを援用しつつ考察。なお投影性同一視については、あくまで理論上のもので、現実にそのような作用が生じる事はないのではないかと考えています。
投影とは?
投影とは精神分析や臨床心理学などで、クライエントの心理的プロセスの説明に使われる防衛機制の概念の一つです。
具体的には自分の心理的側面の一部分を別の対象(他人や物・特定の価値観など)に置き換えることにより、自分の心理的側面の一部分をあたかもその対象が「本当に持っているかのように」錯覚するプロセスを指します。
またこの投影のプロセスは無意識のレベルで行われるため、クライエントは自らの錯覚に気づくことができず、心理カウンセラーなどの心の専門家による解釈によって初めて自身の錯覚に気づくことができると考えられています。
投影の典型例-被害妄想と理想化:
投影の典型的な例としては被害妄想と理想化があります。
被害妄想とは一般に広く知られているように、自身の否定的な心理的側面を相手に投影することで「まったく根拠のない」被害感情を持つとされる心理的プロセスです。
一方の理想化は被害妄想とは逆に、自身の肯定的な心理的側面を相手に投影する心理的プロセスで、この場合相手がどんなに否定しても「何事にも謙遜を忘れることのない素晴らしく謙虚な人物」などとしてどこまでも賞賛され続けることになると考えられています。
投影性同一視(投影同一視)への疑問:
この投影に似たというよりも、より原始的、ゆえに病的な防衛機制に投影性同一視(投影同一視)があります。
投影性同一視(投影同一視)とは自身が投影する心理的側面どおりに振舞うように強引に相手を操作しようと試みる心理的プロセスで、この場合でも防衛機制の無意識性ゆえに、クライエントは自身が相手を操作していることに「まったく気づいていない」と考えられています。
また投影性同一視(投影同一視)は境界性人格障害(ボーダーライン)のクライエントに顕著に見られる防衛機制とされています。
ただこの投影性同一視(投影同一視)の理論的説明については疑問が残ります。
なぜなら「自身が投影する心理的側面どおりに振舞うように強引に相手を操作しようと試みる」ためには少なくても自分が投影しようとしていることを自覚している必要があると考えられます。投影のプロセスが上手く働いていないことに気づいているからこそ、相手を強引に操作しようとの動機が生じるはずなのです。
もし投影のプロセスが正しく働き完全な錯覚が生じているのだとしたら、あえて相手を強引に操作する必要などないはずです。
しかし投影性同一視(投影同一視)のプロセスが投影の「自覚」のもとに行われるものだと仮定いたしますと、今度は防衛機制の定義である無意識性の条件に反してしまいます。
このように考えますと投影性同一視(投影同一視)には理論的に無理があるように思えます。
投影への疑問:
では投影の理論の方には、まったく問題がないのでしょうか? 現在の私の答えはノーです。
ここで「現在の」と断っているのは、以前の私は投影の心理的プロセスを「無条件に正しいもの」と確信していたためです。
ただし「相手も自分と同じように考えたり感じたりしているに違いない」との思い込みから生じる投影についてはこの限りではありません。
(このようにお考えの心理カウンセラーも少なくないと思われますが)かつての私は「周囲の人の態度は「すべて」自分の心理を反映している可能性があり、そのように考え自己分析することは非常に役に立つ」と信じていました。
つまり目の前に見える光景のすべては投影という防衛機制により歪められた「幻想」であり、世界は自分の心理状態を鏡のように映し出したものに過ぎないというわけです。
ただ、このような考えは少し考えてみれば馬鹿げた考えであることが分かります。
たとえば目の前で見ず知らずの人々が激しい口論をしているのを見かけたとします。そしてこの光景が投影の心理的プロセスの産物であると仮定しますと、次のように解釈することができます。
目の前の人々は「本当は」和やかに談笑しているのかもしれない。しかし投影の働きにより自分の攻撃的な感情が「相手の状態とは無関係に」映し出されることで現実が歪められ、あたかも目の前の人々が「本当に」激しい口論をしているように見える。
これが投影という防衛機制で想定されている現実の歪曲です。
間主観性心理学の関係性理論からみた投影への疑問:
しかしこのような現実の歪曲が本当に起こり得るのでしょうか? これはもう幻覚と呼ぶべき心理状態なのではないでしょうか?
おそらく目の前の人々が激しく口論しているように見えるのは(少なくともその人にとっては)激しい口論に見えるような状況を「実際に」目にしたためと考える方が妥当なのではないでしょうか?
このように対人関係を互いの関係性(お互いに心理的影響を与え合う関係)という「しごく妥当な観点」から考察し心理カウンセリングに役立てる理論の一つがコフートの自己心理学の流れを汲む間主観性心理学であり、現在私がもっともクライエントの心理の理解に有効と考えている心理臨床の理論です。
間主観性心理学の理論では、すべての対人関係は互いの心理的影響の下に成り立っていると考えられ、したがって投影に見られるような相手からの心理的影響(先の例では会話の様子から受ける印象)を「一切」受けずに成立する対人関係などというものは起こりえないとされます。
余談ですが私は間主観性心理学の関係性(対人関係)理論の妥当性を、今は亡き父を看病する母の様子から確証するに至りました。
関連ブログ:関係性(間主観性)による人格障害・性格態度の相対性と関係性障害
心理カウンセリング・自己分析の知見による投影への疑問:
上述のクライン派や対象関係論で想定されている投影の防衛機制に対する疑問は間主観性心理学の理論や常識的な考えのみから生じたわけではありません。投影の考えに対する疑問は心理カウンセリングや夢分析そして自己分析の知見からも生じました。
これまでの心理カウンセリングや夢分析の中で(投影についてよくご存知の方が「これは投影です」と解釈するのは別として*)クライエントから投影の作用を示唆するような洞察(たとえば「私は自分が怒りを感じていることに耐えられなかったので、相手の方が怒りを感じていることにしてしまったんです」というような洞察)をお聞きしたことは一度もありません。
またそのような症例を記載した文献を目にしたこともありません。
*通常、感情を伴うような深い洞察(情緒的洞察)の際には、クライエント自身の言葉が使われるものであり、投影に限らず他の心理学の専門用語が使われることはありません。
このことは自己分析についても当てはまります。なぜなら、たとえ心理学の知識を持っていたとしても、そのような専門用語を用いたのでは極めて個人的な心理のニュアンスを説明することができないためです。
さらに私自身、今日まで350回以上の自己分析を自由連想法で行ってきましたが**、(後付けで投影と解釈することはあっても)投影の働きを示唆するような連想は一度も浮かんできたことがありません。
なおこれについては、投影とは防衛機制という無意識のプロセスなのだからクライエントや自己分析の最中の私が意識できないのは当たり前と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、もしそうであれば他の防衛機制も等しく自覚されないはずですが、現実には例えば(幼児的)万能感・理想化・否認・(感情の)隔離・合理化などの防衛機制は自由連想法の中でも割と頻繁に連想されます。
(定義上、自由連想法とは無意識を意識に浮かび上がらせるための心理療法ですから、これはむしろ当然のことです。)
**関連ブログ:抑うつ型自己愛性人格の心理カウンセラーの自己分析・自己治療の記録
投影解釈の心理カウンセリングへの悪影響:
このように心理カウンセラーをはじめとした治療者による解釈においてのみ存在し、クライエントや自身の自己分析で行う自由連想法では一度も目にしたことのない(クライン派や対象関係論で想定されている)投影という防衛機制は、解釈に過ぎない可能性を持つだけでなく、その解釈(治療者による投影の解釈)が心理カウンセリングの場において反治療的に作用する可能性さえあるように思えます。
少し前の考察で投影のプロセスが常識的にはまるで幻覚のように思えると述べましたが、幻覚という言葉の持つ一般的なイメージを考慮すれば、投影の解釈を与えることは暗に「あなたは幻覚に惑わされているだけです」言葉を変えれば「あなたは幻覚を見るほど重症の精神疾患です」と伝えているに等しく、これはいたずらにクライエントの不安を助長し、また自己感を曖昧にしかねない*治療行為と考えられます。
間主観性心理学の理論を援用すれば、クライエントに伝えるべきは、治療者の想像の産物に過ぎない可能性さえある投影の防衛機制による解釈ではなく、対人関係の特性(互いの影響)を加味した解釈、つまりそれが治療者も含めた他者の何らかの影響により生じたということではないでしょうか?
*自己感とは自己認識に似た概念ですが、自分の考えや感じ方が幻覚や妄想に過ぎないと知れば、自分で自分がまったく信じられなくなります。これは精神が崩壊しかねない恐ろしい心理状態です。
心理カウンセラーの逆転移の防衛としての投影性同一視(投影同一視):
最後に投影、特に投影性同一視(投影同一視)が心理カウンセラーの逆転移の防衛のために利用される可能性について考察します。
精神分析、特にクライン派や対象関係論の文献を読まれた方でしたら「心理カウンセラー(精神分析家)の逆転移はクライエントの投影性同一視(投影同一視)により生じたもの」というような文章を目にすることがあったと思われますが、この考えは次のような前提の下に成立しています。
・精神分析などの厳しいトレーニングを受け、また教育分析や自己分析により自身の心を完全に分析し尽くしている心理カウンセラーは、クライエントのどんな話や態度にも心を乱されることはなく、したがって常にニュートラルな心理状態を保つことができる。
・また心理カウンセラーは心の専門家としての能力から、クライエント以上にクライエントの心理を知り尽くしている。
つまり完璧な心理状態を常に保っていると推測される心理カウンセラーの心に、心理カウンセラーの個人的な要因から逆転移や個人駅な感情*が生じるとは考えにくいため、もしそのような現象が起きたのだとすれば、それはクライエントの何らかの心理的プロセスによって引き起こされたものとしか考えられない。
そして心理カウンセラーは心の専門家にして完璧な心理状態の持ち主ゆえに、その「事実」に気づくことができる。
*逆転移には大きく分けて「心理カウンセリングに悪影響を及ぼす心理カウンセラーの個人的な感情や、そこからもたらされる思考」と「心理カウンセラーの心に生じる文字通りすべての感情」との二つの定義があります。
しかし投影のこの前提には次のような疑問が生じます。
「そのように完璧な心の持ち主であるはずの心理カウンセラーが、なぜ意図も簡単にクライエントに心を操作されてしまうのでしょうか?」
これは大きな疑問です…
投影性同一視(投影同一視)がこのような文脈で使われるときには、心理カウンセラーの完璧さや正しさを常に証明するため、言葉を変えれば心理カウンセラーの心に生じてしまった(実は)逆転移を防衛するために都合よく利用されているような気がしてなりません。
対人関係の特質(相互作用性)を無視した、常にクライエントにのみ原因を押し付けるような治療態度はアンフェアのように思えます。
…などと偉そうに色々と書いてきましたが、私自身の心理カウンセリングを振り返ってみますと、逆転移を起こしているだけでなく、そのことに心理カウンセリングが中断してしまうまでまったく気づかなかったことが多々あります。
逆転移の自己洞察は「言うは易し、行うは難し」で今でも大きな課題です。
自己心理学の新たな潮流-間主観性心理学(間主観的アプローチ)解説本
個人的には丸田俊彦氏の著書が分かりやすくオススメです。