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フランスの「シャルリー・エブド」誌のムハンマドの風刺画掲載の自己心理学的考察

今世間を騒がせている、テロ後のフランスの「シャルリー・エブド」誌のムハンマドの風刺画掲載の是非について、私の専門の自己愛の理論、具体的にはこれまで自己愛講座でたびたび取り上げた自己対象との関連させながら書かせていただきます。

風刺画に対して嫌悪感を感じているのはイスラム教徒の方々だけではない

この件について、同じく世界宗教の一つであるキリスト教の権威者であるローマ法王は、テロは断じて許されない行為としつつも、 「シャルリー・エブド」誌のムハンマドの風刺画掲載についても「他の人の信仰を侮辱してもならない。信仰をからかってはならない」と批判してしますが私もまったく同感です。
ローマ法王「表現の自由には限度」 仏紙襲撃

またフランス国内においても、アンケート調査によれば約40%の人がローマ法王と同様に表現の自由の逸脱と考えているようですし、風刺画の掲載を見合わせるマスメディアも少なからず存在しているようです。

心の健康にとって欠かせない自己対象という存在

この法王の見解は、自己心理学の自己対象の理論を借りれば次のように説明できます。

これまで自己愛講座でたびたび取り上げてきましたように、私たちはコフートの言葉を借りれば呼吸と同様に当然の如く他人の心の温もりを求め、それなしでは心の健康を維持できないと自己心理学では考えられています。
このようなお互いに支え合う機能をコフートは自己対象という概念で説明し、その一つが理想化自己対象です。

この理想化自己対象とは、不安になった時に安心感を与えてくれたり、人生の目標を示してくれたりといった機能を担う対象で、より具体的には一人では心細い時に頼れる人や「この人のようになりたい」と思うような理想とする存在です。

コフートはこの理想化自己対象をはじめとした良質な自己対象に恵まれることは、人間の成長にとって欠かせないものであり、また自尊感情の重要な拠りどころともなっていると考えてます。

神は信者の方にとって最も重要な理想化自己対象

多くの宗教の経典には、万能と言えるほど超人的な能力を備えた「神」的な人物が登場しますが、自己心理学の観点からは、このような存在は信者の方にとって最も重要な理想化自己対象として機能していると考えられます。
しばしば宗教においては「絶対的な帰依」という表現が用いられますように、すべてを神に委ねることが信仰の重要な要素となっていますが、この思想の背景には「無力な人間が神の力によって救済される」との前提があり、ここに神に対する非常に強い理想化の心理が感じられます。

自己対象は物理的には他者でも、心理的には自分の一部と感じられる

では自らが信じる神を侮辱されると、なぜテロに発展するまでの怒りが生じるのでしょうか?
それは自己対象というものが、物理的には他者(自分以外の存在)でも、心理的には自分の一部と感じられるためです。
そのため自分が肯定的な思いを寄せている対象を批判されたり侮辱されたりすると猛烈な怒りを感じるのです。

そしてこの怒りの程度は、その人にとっての自己対象の重要度に比例しますので、前述のように最も重要な理想化自己対象を侮辱されたことで、今回のように多くのイスラム教の信者の方々の反発に繋がったのだと思います。

表現者に他人の自尊心を踏みにじることまでの権利はない

ですから今回のフランスの「シャルリー・エブド」誌のムハンマドの風刺画掲載の件は、最も重要な理想化自己対象(=自尊感情の重要な拠りどころ)に対する攻撃であり、彼らやその支持者が主張する「表現の自由」にそのような権利までは認められていないはずというのが私の考えです。

ただし今回の記事はテロ行為を肯定するものでもありません。「怒りの感情=その表出(行為)」では決してありませんので。

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