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私説:愛着障害に対する宮城まり子さんやウィニコットのような献身的アプローチは決して標準化できない

ウィニコットを彷彿させる宮城まり子さんの献身さ

今晩21時にBS朝日で「宮城まり子と「ねむの木学園」密着!15年の記録」と題する番組が放送されます。

少し前にNHKで同じ様な内容のドキュメンタリー番組を見ましたが、そこでの宮城さんの子どものからのどんな暴力も受け止め続け、決して報復しない様子は、マーガレット I.リトル著「ウィニコットとの精神分析の記録 新装版―精神病水準の不安と庇護」の中で紹介されている、精神科医のウィニコットが当時は統合失調症水準かつ深刻な愛着障害を患っていた著者のリトルに対する献身さを思わせるものでした。

こうした話に強く感銘を受けて「理想の心理職はこうあるべきだ」と思われる方も少なくないかもしれません。
私自身も一時期ウィニコットの本を読み漁り、彼の心理療法のスタイルに憧れた時期がありました。
しかし理想はあくまで理想に過ぎず、現実にはとても真似などできませんでした。

愛着障害に対する宮城まり子さんやウィニコットのような献身さは決して標準化できない理由

恐らく愛着障害に対する宮城まり子さんやウィニコットのような献身な態度は、私のようなカウンセラーをを含めた心理職のあるべき態度として標準化できるような代物ではないのだと思います。
その根拠は主に次の2つによるものです。

心理職に携わる者でも人間としての限界から逃れられない

ウィニコットが活躍していた頃には、彼のような非常に献身的な心理療法のスタイルは大きな影響力を持っていたようです。
しかし現在の精神分析では分析家の人間としての限界を積極的に認め、むしろ無理し過ぎないことを目標とするように変化して来ています。
これは怒りを無理に抑え込んでも、あるいは防衛機制によって自覚できなくなったとしても、怒りの感情が消失してしまうわけではなく、それが積もり積もってあるとき爆発したり(キレる)、あるいはもっと巧妙な形で必ず何らかの形で復讐してしまうと考えられているためです。

ですから現在ではウィニコットのような献身さや聖人のような心を目指すのではなく(彼はクライエントの攻撃に耐え続け「生き残る」ことの大切さを説いています)、むしろ自分の怒りの感情をしっかりと自覚し、もし自己コントロール力が危うくなり始めたら、無理に我慢せずにクライエントにできるだけ害のない形で表出(自己開示)することも容認されるようになって来ています。

これは私見ですが、ウィニコットはあまりに理想化されているため彼の好ましくない言動はほとんど伝わって来ませんが、例えばガンジーのような人にさえ好ましからざる噂を聞くように、ウィニコットにも本当は無理ゆえの負の側面がいろいろとあってもおかしくはないのではないかと思っています。
この世に何から何まで聖人のような人は存在しないというのが私の考えです。

またもし仮にウィニコットのような献身さをもってクライエントと接しようとしても恐らく大多数の人は私のように挫折してしまうのではないかと思われます。
もし努力を惜しまなければ誰でもウィニコットと同等の献身さを身に付けられるのだとしたら、ここまでウィニコットの名前が世に広まることもなかったと思います。

時間的・経済的な制約

もう1つの根拠はウィニコットのような献身的なスタイルの心理療法の適用には、時間的・経済的に非常に大きな制約があることです。

ウィニコットのような人でも精神的な負担が非常に大きかったのか、あるいは治療効果の観点からか、冒頭のリトルのような重症域の愛着障害を持つクライエントとは、一度に1人しか治療契約を結ばなかったそうです。
ですから常にウィニコットの治療を受けたくても受けられないクライエントが、ウェイティングリストに名を連ねていたそうです。
さらにこうしたクライエントの治療は数年に及ぶことが少なくなかったそうですので、恐らく実際にウィニコットの治療を受けることができたのは、希望者のごく一部であったと予想されます。

つまり1人のクライエントに可能な限り望ましい治療環境を提供しようとすれば、残りの大多数のクライエントから同等の治療機会を奪わなければならなくなるのです。
これが時間的な制約の意味するところであり、またそれと同時にその非常に密な関係に伴う多額の費用を誰が負担するのかという経済的な問題も生じます。

なお「治療効果の観点から」と述べたのは、マンツーマンのように接してくれることの効用です。
リトルは「ウィニコットとの精神分析の記録」の中で、彼がいつも連絡をとれるように手はずを整えてくれたり、治療費を免除してくれたり、あるいは旅行先からでも手紙をよこしてくれたことで初めて、自分が気にかけてもらえている、大切にされていると実感できたと回想しています。

現在は重症域の精神疾患の治療は向精神薬の併用が前提

以上のような心理職に携わる人間としての限界、および時間的・経済的な制約などから、現在では統合失調症をはじめとした重症域の精神疾患の治療では、ウィニコット時代にはほとんど存在しなかった向精神薬の併用が前提となって来ているようです。
薬物療法+支持療法と呼ばれる不安の軽減を主な目的とする、しかし献身さにおいてはウィニコットの技には遠く及ばないレベルの標準化された心理療法です。

残念ながらすべての人が理想的なサポートを受けられるわけではない

もっとも上述の方法は大人のケースで、子どもの場合、日本では安全性の観点から子どもへの向精神薬の処方は制限が厳しく、そのため愛着に障害を持つ子どものサポートには宮城さんのような献身性が欠かせないかもしれません。
しかしそれにもやはり大人と同じケースの問題が生じます。

ですから子どもの場合は薬物治療の選択肢が望めない分、大人のケース以上に理想的なサポートを受けられる可能性が少なくなってしまうかもしれません。
なぜなら愛着障害を持つ子どもをサポートするNPO等の支援団体は存在しないこともないですが、私が見聞きした限りではそうした組織においても上手くいったケースでも年単位の時間を要するためです。

参考文献

マーガレット I.リトル著『ウィニコットとの精神分析の記録 新装版―精神病水準の不安と庇護』、岩崎学術出版社、2009年

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