先日、テレビ朝日で放送された「オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画~」を見て感じたことを書かせていただきます。
なおこの記事は、一連のオウムが引き起こした事件は「他人事ではない」ことを示すものであり、決してオウムを擁護するものでも、その行為を正当化するものでもありません。
ハルマゲドンの実現を確信していたオウム真理教の麻原
特に印象に残っているのは、オウム真理教の教祖の麻原が、聖書に出てくるハルマゲドンがいずれ起きると本当に信じ、その為の準備として在家の信者も含めて世界中の人々を殺そうと計画していたことです。
この話を聞いて彼が狂っていると思われ、彼のような人物だからこそ、そのようなことを考えるに違いないと思われるかもしれません。
しかし麻原のこの考えを聞いて、私はそれほど特別奇異な考えとも思いませんでした。
ハルマゲドンの思想は日常に溢れている…
Wikipediaによれば、ハルマゲドンとは一般的によく知られる「世界の破滅」という意味の他に「善と悪の戦争」「戦争を終わらせる最後の戦争」という意味合いもあるそうです。
私たちからすれば麻原およびオウム真理教の信者は悪魔のような恐ろしい存在ですが、彼らからすれば私たちの方が理想的な社会の実現を阻む悪魔のような存在のはずです。
ですから彼らの思想からすれば、この世の悪魔(=私たち)をすべて殺してしまえば、世の中に善人ばかりが生き残り、真の平和がもたらされることになるはずです。
そして私たちはターゲットが違うだけで、彼らと同じような思想から、つまりこの世の悪魔のような邪悪な存在をすべて殺してしまえば、世の中に善人ばかりが生き残り、真の平和がもたらされるとの信念に基づき人殺しを実行しています。
現在のISしかり、かつてのヒトラーのナチス、フセイン…しかりです。
また今回の番組の取材で明らかにされた核武装化についても多くの国が実践しています。
もっとも両者には決定的な違いがあります。それはその思想を支持する人の数です。
前者の麻原の考えはオウム真理教の信者などごく一部の人からしか支持されませんでした。しかし後者の考えは世界の大多数の人々の支持を得ました。
だからこそ本質的にはあまり変わりない行為でも「善行」と見なされているのだと思われます。
しかしどちらもハルマゲドン、つまり「善と悪の戦争」「戦争を終わらせる最後の戦争」と信じて行っているという点では、何ら変わりはないように思えます。
このような自分(たち)と考えを共有する人々を「善」それに同意しない存在を「悪」と定義し、その悪を排除することで平和な世の中が訪れるという勧善懲悪的な価値観が今後も変わらなければ、ハルマゲドンが本当に成就しない限り永遠に平和は訪れない、いえ仮にそれが実現したとしても、どこからかまた「悪」と定義される存在が登場して再び戦火に包まれてしまうような気がしてなりません。
もっともこのような事態が繰り返されるのは意外と簡単な理由からかもしれません。
少なくても(どんな理屈で正当化したとしても)誰かを殺せば、その人の家族や親しい人々の間に激しい憎しみの感情を生じさせることは避け難いことでしょう。
そうして誰かが殺されるたびに次々と新たな憎悪が生まれ、やがてそれが「悪」と定義される存在を生み出す原動力となって行くのだと思われます。