前回の記事「自己愛的な人が感情を持たない冷酷な人間との印象を与えるのは誇大モードにある時だけ〜自己愛講座37」では、自己愛的な人が普段表向きに見せるナルシスティックな態度について紹介しました。
今回はその同じ人が抑うつモードになった時に見せる、まったく異なる態度について考察します。
抑うつモードでは「理想自己」を現実の自分と錯覚できなくなり無力感に襲われる
前回の記事にも書きましたように、自己愛的な人が誇大モードにある時には、頭の中で思い描いた理想的な自分の姿(理想自己)を、現実の自分そのものと錯覚しているため、自分一人で何でもできるとこれまた錯覚し、その結果人間関係を軽視しがちになります。
ところがその同じ自己愛的な人がひとたび抑うつモードに移行すると、万能的な理想自己を自分自身であると錯覚できなくなってしまいます。
もっとも、そのことで現実の自己像に気づくことができるのであれば、この変化はむしろ好ましいことでしょう。
ところが自己愛的な人は抑うつモードに移行すると、多くの場合誇大モードにある時と真逆の、今度は極端なネガティブ思考に陥ってしまいます。
典型的には、自信を完全に喪失し無力感に襲われるため、自分が生きていても何の価値もない人間に思え(無価値感)、またこの先の人生にも絶望してしまいます。
このように万能感と無力感とを行き来するだけで、その中間のちょうど良い自己評価の水準に留まれないのが、自己愛的な人の生きづらさの一因となっていると考えられます。
またこの万能感と無力感との落差がさらに激しい状態になっているのが、境界性パーソナリティの方ではないかと想定されます。
抑うつモードでは他人からケアしてもらいたいとの強い欲求が生じる
また前述のような無力感や無価値感に襲われた時でも、自己愛的な人には、うつ病の人のような罪責感はあまり生じないため、死にたいとは思っても実際に自殺を試みる人は、うつ病の人に比べれば多くないと言われています。
(ただし皆無というわけでは決してありません)
このため自己愛的な人が抑うつモードに移行した場合は、その無力感や絶望感から非常に強い不安や心細さを感じ、その辛い状態から逃れるために他人のケアを求めたくなることがほとんどです。
こうして重症域にある人ほど、愛着に近いような非常に強い対人依存が生じます。
今すぐにでも誰かに優しくケアしてもらうことで不安を解消したいという即時的な欲求が生じるわけです。
コミュニケーションツールの発達により、抑うつモードにおける対人トラブルは減って来ていると推定
またこの自己愛的な人が抑うつモードに陥った時の強い対人依存は、まだインターネットが普及していない時代でしたら、深夜でも電話をかけて長時間慰めてもらうというような行動に結びついたため、すぐに問題視されてしまいました。
しかし現在はコミュニケーションツールが非常に発達しているため、これまでと比べれば他人の負担にならないような形で欲求を充足することが可能となり、その結果抑うつモードに陥るたびに不安から逃れるために他人を巻き込み対人トラブルとなるようなことは、以前と比べれば少なくなって来ているかもしれません。
以上のように自己愛的な人は、誇大モードにある時には「自分には他人の力など一切必要ない」というような自信に満ち溢れた態度を取っていても、ひとたび抑うつモードに陥ると、常に誰かとの関わりがないと不安かつ心細くて仕方がないというような弱々しい一面も有しているのが特徴です。