このページでは1ページ目に掲載した、カウンセリングの技法で対応可能な相談であるか否かを判断する心理アセスメントの、具体的な進め方について紹介致します。
これにはインテーク面接と呼ばれる心理アセスメントのみを行うセッションを設ける方法と、その作業を通常のセッションの中で並行して行う方法とがありますが、このページでは後者の方法のみを紹介致します。
その理由はカウンセリングというサービスの性質への一般的な理解があまり進んでいない日本では、相談を引き受けるか否かを判断する目的のためだけに有料のセッションを設けるインテーク面接というシステムは、簡単には受け入れられないと考えられるためです。
心理アセスメントを行うためには、共感しつつも情報収集目的の質問が欠かせない
最初のセッションでは初対面ゆえ当然信頼関係など存在しませんので、その構築のためにもカウンセラーは批判することなくクライエントの立場に身を置いて話を聞き、なおかつ理解したことやクライエントの心情などを伝える、つまり共感的な態度を維持するのが一般的と思われます。
しかし共感に徹するだけでは、クライエントの話の内容は理解できたとしても、今回の記事で取り上げた「カウンセリングの技法で対応可能な相談であるか否か」についての判断材料が得られるとは限りません。
このためもし受容的に話を聞くだけではその情報が得られない場合は、質問して聞くしかありません。
私説:質問は気楽にさり気ない印象で
しかし質問とは、相手に答えることを半ば強制するような行為ですから、それによって主従関係を生み出しかねません。
つまりそうすることによって、セッションをカウンセラーが主導しクライエントをそれに従わせるような流れを作ってしまいかねず、これではクライエントが自発的に話をしづらくなってしまいます。
補足) 精神分析の一派の間主観的アプローチや、ユング派の流れを汲むプロセスワークなどでは、援助する者とされる者との立場の違いが、こうした弊害を生み出しやすいと考えられています。
こうした悪影響を避けるために、私の場合は質問はできるだけ「気楽に」「さり気なく」行うように心がけています。
その意図は質問の重要度を下げるためです。
そうすることで、相対的にクライエントが主体的に話す内容の方が重要度が高いとの印象が生じることを狙っています。
もし逆に真剣な表情で質問すれば「これはとても大事なことだから必ず答えなければならない」とのプレッシャーを与えると同時に、クライエントが主体的に話す内容の重要度を減じてしまい、いつの間にかカウンセラーがセッションの主導権を握るようになってしまい兼ねないというのが私の考えです。
共感と情報収集とを並行して行うためには、アウェアネスを保ち続ける必要がある
また情報収集目的の質問をするためには、クライエントの話の内容やその場で生じていることを客観視する姿勢が要求されますので、これはクライエントの立場に身を置いて受容的に話を聞く共感的な態度とは明らかに異なるものです。
したがってインテーク面接を設けずに同様のことを行うためには、必要に応じてクライエントとの心理的な距離感を自由に変えられる柔軟性が要求されることとなり、それを可能とするためにはアウェアネスとも呼ばれる自分自身を客観視し自由にコントロールできるような状態を可能な限り保ち続けるスキルが必要となります。
そしてそれを可能とするのが、精神分析における教育分析のように、自分自身がクライエントとなってカウンセリングを受けたり、あるいは自己分析という行為です。
自分自身について深く知ることで、緊張することなく楽にセッションに臨めるようになり、その心の余裕がクライエントのみならず自分自身にも注意を向けることを可能とし、これがアウェアネスの源泉となるためです。
こうして概ね共感的な態度を保ちつつも、時に客観的な態度に移行して1ページ目に掲載したような問題に関する4つの要因を思い浮かべながら話を聞き、そして必要に応じて質問も加えるというのが、インテーク面接を設けずに心理アセスメントを行う一般的な方策になるかと思われます。
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