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一斉休校の様子を報じるマスメディアのジェンダーバイアスを指摘した記事
ジェンダーバイアスとは
ジェンダー学の理念が反映されたバイアス観
ジェンダーバイアスの特質は「固定的な思い込み」から生じる強迫観念
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一斉休校の様子を報じるマスメディアのジェンダーバイアスを指摘した記事
先週、新型コロナウイルスの感染防止のためとして突如決定された一斉休校について、その報道姿勢を問う記事が、一昨日Yahoo!ニュースに投稿されていました。
一斉休校、報じるメディアのジェンダーバイアスも課題ーダイバーシティなき「同質性のリスク」(白河桃子) – 個人 – Yahoo!ニュース
記事の概要は、一斉休校への対応に苦慮する人々の様子を報じたマスメディアの報道内容のうち、保護者に関するものがもっぱら「困っているママの姿」であったことに着目し、これをマスメディア業界に蔓延するジェンダーバイアスの現れと想定。
さらにこのようなジェンダーバイアスは政府内部にも顕著に見られることなどを例に、日本の立ち遅れたジェンダー観を総括するというものです。
ジェンダーバイアスとは
具体的な考察に入る前に、用語に馴染みがない方のために、ジェンダーバイアスという概念について簡単に整理しておきます。
(不要な方は「ジェンダーバイアスの特質」からご覧ください)
ジェンダーとは
まずジェンダーとは、生物学的な性を表すセックスとは異なる、社会的な性を表す概念です。
具体的には性に対する社会の様々な期待を意味することから、性役割と訳されることもあります。
その典型は「男らしさ」「女さしさ」という言葉から連想される数々のイメージです。
また今回の参考例で言えば、子供のケアは母親の役目というような社会通念です。
加えて社会から期待を寄せられる「性」の基準は生物学的な性であるため、ジェンダーと生物学的な性との間には密接な関連があると言えます。
バイアスとは
続いてバイアスとは偏りを表す言葉ですが、一般的には考え方の偏りを指すため、思い込みや、より偏りがひどいと想定される偏見などの意味で使われることがほとんどです。
したがってジェンダーバイアスとは、性役割に関する多分にステレオタイプな社会通念(=固定観念)と言えます。
ジェンダー学の理念が反映されたバイアス観
なおこの性に関する社会的な固定観念に対して、偏りを表すバイアスという言葉が用いられているのは、あくまで私見ですが、ジェンダーについて研究する分野(ジェンダー学)では、性役割が社会から(一方的に)押し付けられた価値観に過ぎず、その価値観の押し付けによって「本来のその人らしさ」が歪められてしまっているとの信念があるからではないかと考えられます。
つまりジェンダー学の理念とは、人々を性役割から(完全に)解放し、男女の性差を超えた「本来のその人らしさ」を再獲得することではないかと考えられます。
(こうした理念はジェンダーフリーと呼ばれています)
補足) 本来のその人らしさが環境からの圧力によって修正を強いられる旨の考えは、カール・ロジャーズの「自己一致-自己不一致」の概念にも見られます。
但しロジャーズの、環境からの影響も問題視する態度はより徹底していたようです。
関連ページ:傾聴が生まれた背景~子どもをあまりに理想視するロジャーズの人間観
ジェンダーバイアスの特質は「固定的な思い込み」から生じる強迫観念
ジェンダーバイアスそのものの説明は以上とし、ここからはそのジェンダーバイアスの特質や社会的な影響力について考察していきます。
既述のようにジェンダーバイアスとは性役割についての固定観念であり、その性質は固定化された思い込みです。
このためジェンダーバイアスを有している人の考え方は「男なら(女なら)〇〇でなければならない」という強迫観念に陥りがちになります。
そしてこうした信念が一度形成されてしまうと、その後は環境の影響を一切受けることなく常に画一的に作用し、人々の心を強く規定、もっと言えば拘束してしまうのがジェンダーバイアスの恐ろしい点です。
まただからこそジェンダー学では、そのバイアスの元となっている性役割そのものに対しても批判の目を向け、その消滅を理想としているのではないかと考えられます。
性役割の概念そのものが消滅してしまえば、それに基づくバイアスも生じ得ないためです。
次のページでは参照したニュース記事を例に、ジェンダーに関する論説は、よほど注意しない限り新たな偏見を生み出してしまいかねないことを示します。
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