今回は「NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」~仲良し親子の関係に潜む共生期の恐ろしさをリアルに描いたドラマ」の続編です。
前回の記事では主に娘の心理について考察しましたが、今回は母親の心理に焦点を当てます。
このテーマに関心のある方でしたらご存知でしょうが、毒親・毒母という言葉に象徴されますように、この種の病理的な親子関係の原因の多くは親の側にあります。
※ただし私自身は毒親・毒母という言葉には違和感を感じますので、今後も使用するつもりはありません。
その理由については別の機会に詳述します。
母親にとって「共生期」が意味すること~娘を赤ちゃんのようにケアが必要な、か弱い存在と錯覚している
前回の記事でNHKドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」で描かれている親子関係は共生期と呼ばれるもっとも重症域の病態水準であり、またその心理的な発達水準は0歳児の赤ちゃんレベルであると述べましたが、この発達水準は母親の側から理解するとより分かりやすくなります。
ドラマの斉藤由貴さん演じる母親が、あらゆることで娘の身を案じ、また知人といる時でも娘のことが気になって仕方がなくスマホで連絡を取り様子を確認せずにおけない態度からは、母親にとって娘が少しでもケアを怠ると大変なことになってしまうかもしれない存在として認知されていると考えられます。
またその過剰な心配ぶりからは、娘が赤ちゃんのように非常にか弱い存在とみなされていることが窺えます。
ただしこの認知は前回も触れましたように、あくまで気持ちの上でのものであり、理屈では大人であることは理解していらっしゃいます。
つまりこれは娘が大人になった今でも、まるで赤ちゃんのように様々なことで心細さを感じているに違いないとの確信があり、そのため居ても立っても居られず過保護な行動へと駆り立てられるということです。
日本の母親には共生期の心理が大いにある
また上述の説明を一部の病理的な母親の話と思われたかもしれませんが、決してそうではありません。
一人暮らしをしている方でしたら、ちゃんとご飯を食べているのか心配になった実家の母親からそのことで電話があったり、あるいは簡単に手に入るような食材が大量に送られてきた経験があるはずです。
ですからドラマの母親はその極端な例に過ぎず、日本の多くの母親には共生期の心理が大いにあると言えます。
つまり、どこかしら成人した子どもを赤ちゃんや小さな子どものままでいるかのように錯覚している部分があるということです。
またこれらの行為も「母親なら心配して当然」「親にとっては子どもは幾つになっても子ども」という考えなどの元で正当化されていますので、日本の親子関係は個人主義に根差した欧米流の発達観からすれば「分離-独立」の発達課題を克服できていないように感じられるはずです。
共生期の母親の心理が生まれる主な要因
続いてこの共生期の心理の、さらに背後に働いていると考えられる心理の考察に移ります。
ネガティブ思考かつ神経質な性格ゆえの心配性
共生期の母親の心理が生まれる主な要因の1つめは、ネガティブ思考かつ神経質な性格ゆえの心配性です。
もしその母親があまり細かいことにこだわらない大らかな性格であれば、そうした人は概ねポジティブ思考であるため、ドラマの母親のように心配のあまり過干渉な行動へと駆り立てられるとはとても思えません。
ですから共生期のような心理に陥る母親の一般的な傾向は、その真逆の物事を悪い方に受け止めたり予想したりする傾向があり、さらにそうして導き出された事柄に過敏に反応し気に病む性格の人と考えられます。
自尊感情が非常に低く、それを専ら娘の役に立つことで高めようとする
共生期の母親の心理を生み出すもう一つの要因は、自尊感情が非常に低く、それを娘の役に立つことで高めようとする傾向です。
自尊感情とは自分が「価値ある存在」と感じることができる感覚一般を指す言葉ですが、この感覚は何かが上手くできたり、人から褒められたり、誰かの役に立ち感謝されたり、あるいは自分が誰かから必要とされていると感じた時など、様々な体験によって感じることができます。
この自尊感情の定義から、娘との共生関係に陥る母親は、典型的には自尊感情が非常に低く、かつそれを高める手段が専ら娘から必要とされ、その娘の役に立ち感謝されることに集中しているケースと考えられます。
その理由は自尊感情が極端に低いからこそ、それを補うために自尊感情を満たすための行動に強迫的に駆り立てられるのであり、さらにその手段やそれを満たす対象がバラエティに富んだものであれば、ドラマの母親のように娘のケア一点に集中するとは考えづらいためです。
人付き合いが苦手なため交友関係が狭い
このため、その他の特徴として娘との共生関係に陥る母親には、他に真剣に打ち込めることがなく、また人付き合いが苦手なため交友関係も狭い傾向があると考えられ、ドラマの母親にもその傾向が見られます。
娘との関わりが唯一の生き甲斐のような人生
またこれらの対人関係の特徴から、典型的には娘との関わりが唯一の生き甲斐と言えるような人生を歩んでいる人とも推測できます。
ですから共生期の親子関係とはカテゴリとしては精神的虐待として捉えることが可能だとしても、その実態は娘に対しする対人依存と考えられます。
次回は度々の変更で恐縮ですが、前回と今回の記事のような共生期というもっとも重症域の親子関係に限らず広く見られる「機能不全親子」の心理状態を網羅的に記述した本を紹介させていただきます。