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秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚の言動や世間の反応を参考にした自己愛的な人の非共感性などの考察~自己愛講座49

NHK総合で放送された事件の涙「“君の言葉”を聞かせてほしい~秋葉原無差別殺傷事件~」の内容などを基に、病理的な自己愛の心理について考察する自己愛講座49。
1ページ目の加藤死刑囚の心理分析に続き、2ページ目では番組で初めて知ったことですが、今若い方を中心に事件を引き起こした加藤死刑囚のネット上の発言に、規模は不明ですが共感の輪が広がり始めている点について考察します。

番組では彼の発言に対するネット上の共感的な反応が紹介されていましたが、それらは概ね次の2つに大別できるものでした。

1. 加藤死刑囚の不幸な境遇への同情を示す人は、実は健全な心の持ち主

共感的な反応の1つ目は、番組に登場した彼の仕事の同僚が「人間扱いされていない気がする」と語っていたような自尊心を深く傷つけられるような職場環境や、彼の深い孤独感などに同情し、殺人という行為は到底許せないとしても、そうしたくなった気持ち自体は理解できるというものです。

この殺人犯の気持ちに共感する態度に対しては、恐らく不快感を感じる方もいらっしゃるかと思います。
しかし少なくてもフロイトの考えに比較的忠実な古典的な精神分析理論においては、こうした反応を示す人は、むしろ健全な人とみなされます。

その理由は、まず「殺人という行為は到底許せない」と感じていることから、基本的な罪悪感は備わっていることです。
続いて「そうしたくなった気持ち自体は理解できる」との態度は、殺人犯だからと言ってその人物を全否定せず、相手の立場に身を置いて冷静に分析できることを示していると考えられます。

さらに他者に共感する現象が生じる時、その多くは自分との共通点や類似点を感じてのことです。
このことから加藤死刑囚の気持ちに共感した人は、自分にも彼と似たような部分があると認識したからであり、これは実は自分の好ましくない部分からも目を背けず、しっかりと自覚していないとできない行為です。
つまりこれは内省能力の高さを示しています。

加えて恐らく世の中の大多数の人々が、罪を犯した人の人格を全否定するような考えや態度を取っているために受刑者の社会復帰が困難となり、そのことが再犯の一因となっていることを考えると、こうした共感的な態度を示す人々の存在は、社会的にも有益と考えられます。

2. 加藤死刑囚を英雄視する態度こそが問題であり危険な思想

加藤死刑囚の言動に対するもう1つの共感のあり方は、彼のことを「かっこいい」などと、まるで英雄視するような態度です。
こうした態度を取る人に対する精神分析的な評価は、1のケースの人とは一変します。

まず「かっこいい」などというセリフは、殺人を否定的に捉えている人からは決して出てこないものです。
したがって仮に深く考えずノリで発してしまった言葉だったとしても、基本的な罪悪感さえ備わっていないのではないかと疑わざるを得ません。
これは深く考えなかったから思ってもいない言葉が出たのではなく、むしろ深く考えなかったからこそ世間体を取り繕うことができず、うっかり本音が出てしまったと考えられるためです。

そしてこうした罪悪感を欠いた人々の加藤死刑囚に対する反応こそが、危険な思想を孕んでいると考えられます。
なぜなら状況次第では彼の行為を模倣するなどして犯罪を犯してしまう可能性が、平均以上に高いと考えられるためです。

今回取り上げたNHKの番組をご覧になった方の中には、死刑囚に対して共感する人が増えていることに対して危機感を感じた方もいらっしゃるかもしれません。
しかしこれまで考察して来たように、その危惧は2に該当する人に対してのみ当てはまるものであり、1のようなタイプの人にはそれほど心配は要らないというのが私の考えです。

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