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私説:TwitterユーザーとFacebookユーザーとの違い~SNSの心理学1

※最初にお断りさせていただきますが、今回対象としているTwitterユーザーの方は、主に後述の加害者への同調をはじめとした、権威への批判よりも、むしろ社会的に弱い立場の人を攻撃するようなツイートを繰り返しているような人です。
また自己愛的な人の特徴に関する記述は「自分でも気づかずにそうしている」という無意識的作用に関する仮説であり、決してその人が意図的にそうしているという意味ではありません。
さらにタイトルに「私説」とありますように、今回の内容は心理職に携わる方の間で共有される一般的な考えというわけでもありません。
その点を踏まえた上でご覧いただけますでしょうか。

TwitterとFacebookとで対照的な反応を引き起こしたある事件

まず最初に今SNSで話題となっている、こちらのページをご覧いただけますでしょうか。
「全盲なら乗るなよ」「相当イラつくのは確か」川越線での全盲女子負傷 加害者への同調がツイッターで続出 – NAVER まとめ

要約しますと、目の見えない女子生徒を後ろから蹴飛ばして全治3週間の怪我を負わせた事件に対して、加害者側の不満や怒りに共感するTwitterユーザーのツイートが後を絶たないという内容です。
そして今度はこの事態を知ったFacebookユーザーの間で、この加害者に共感的なツイートを激しく非難する投稿がシェアを介して急速に広がっています。

TwitterとFacebookとの反応の違いは日本が自己愛社会であるため

では同じSNSでも、なぜこんなにも反応が違うのでしょうか?
察しが付く方もいらっしゃると思いますが、それは恐らくFacebookが実名での利用を前提としているのに対して、Twitterは匿名での利用を認めているため、多くの方が匿名で利用されているからだと思われます。

では実名と匿名で、なぜこんなにも反応が違うのでしょうか?
その理由は日本が自己愛社会と言われるほど自己愛的、特に抑うつ型の自己愛的な性格構造の方が多いためと考えられます。

ここで以前の自己愛講座の一部を再掲させていただきます。

>自己愛的なパーソナリティとは?
>「他者から肯定されることによる自尊心の維持をめぐってパーソナリティが構成されているような人」
自己愛講座1より)

これは相対的に自尊心が低いことから、それを補うために人から自分の存在価値を認めてもらったり褒めてもらったりすることに心を奪われ、その結果ほかの重要なことがすべて二の次になってしまうような人ということです。
そしてこの特徴が「自分勝手」「自分のことしか考えていない」などの、自己愛と聞いて思い浮かぶお馴染みのイメージに結びつく行動パターンを引き起こします。
なぜなら自分が「能力的にも倫理的にも素晴らしい人間」だと感じられることが何より重要で、それに比べれば他のどんなことも取るに足りないものとなってしまうためです。

>(自己愛の定義からして)他人からの肯定的な評価なしでは自尊心を保てず自分に価値があるとは思えないため、その肯定的な評価を引き出すために常に「相手に好かれるように」また「機嫌を損ねないように」振る舞う必要がある。
>こうしてDSM-4の「自己愛性パーソナリティ障害」の診断項目に列挙されている「尊大」「特権意識」「自己中心的」などの症状をほとんど見せない、むしろ誠実そうな人にさえ見える、もう一つの自己愛的な性格構造が形成されます。
>(自己愛講座2より)

ここでの「もう一つの自己愛的な性格構造」が日本人に最も多い性格タイプと考えられる抑うつ型の自己愛です。

TwitterとFacebookは自己愛の2つの側面の表れに過ぎない

本題に戻ります。
自己愛的な性格構造のこのような特徴から、実名主義のFacebookでは否応なく他人の目を意識されられるため、半ば無意識的に「良い人を演じる」傾向が生み出され、その一方で匿名でも構わないTwitterでは他人の目をFacebookと比べれば遥かに気にせずに済むため、これまた半ば無意識的に本来の「自己中心的」な部分が表に出やすくなるのではないかと考えられます。

なお詳しくは今後の自己愛講座で触れる予定ですが、今回の事件ではTwitterユーザーの方が、目の見えない女子生徒を「社会に迷惑な存在」と見ていることから、善悪に関して自己愛的な心理作用が働いているもとの推測され、具体的には自分が正しい人間であると感じられるために、それと比較される形で他者がとても悪い存在に思えているのではないかと考えられます。

このように自己愛的な性格構造の人は、自尊心を維持するための手段として、自分と他者とを比較し「自分の方が正しい考えを持つ優れた人間であり、相手の方が誤った考え方をする劣った人間である」と感じることに頼る傾向があり、専門的には「理想化-価値下げ」の防衛機制を多用する人と言われます。
ただしこれは冒頭で述べましたように、あくまで無意識的な作用に関する仮説であり、意識的に感じられるのは、女子生徒のような人が客観的に(絶対的に)酷い人間であるということだけです。

またそれを言えばFacebookユーザーにもTwitterユーザーを見下すことで、内容は違えど自尊心の維持に関して同じことが生じていると言えます。
恐らくTwitterユーザーが女子生徒に対するのと同じような考えや気持ちを、Twitterユーザーに対して抱いていらっしゃるでしょうから。
(私もリンク先の記事を見た時に「どうしてそんな発想になるのか?」という驚きと共に、そのように考えるTwitterユーザーの方がとても冷酷な人々に思え、それに対して激しい憤りを感じました)

ですからこのように考えますと、冒頭の事件への反応の違いから、Facebookユーザーには善良な人が多く、Twitterユーザーには心無い人が多いとは一概には言えないことになります。
例えばFacebookでは「良い人と思われるために」心無いツイートを行うTwitterユーザーを批判しているその同じ人が、実は他人からの批判をそれほど気にせず本音を出せるTwitterを裏アカウントとして利用して、そちらでは女子生徒を攻撃するツイートをしているということも考えられるわけです。

最後にまとめですが、今回の事件に対する両SNSユーザーの認識の顕著な違いは、両者が相容れないほど違った価値観を持っているということではなく、むしろ実は「自己愛的」という似た性格タイプの人間であるにもかかわらず、利用しているアカウントの特性の違いの影響を受けることにより、それぞれ異なる部分が表に出て、それがまるで絶対に理解し得ないと思えるほど違って見えているということではないかと思われます。
もちろん、ここまで違って見えるのは「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きによるものと考えられます。

次回の「SNSの心理学」では、それでもFacebookユーザーと匿名のTwitterユーザーとの間には、善悪とは違うレベルで決定的な違いあるということについて書かせていただく予定です。

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