今回の記事は日本人の多くが議論を苦手としていることと、自己愛的な性格構造の特徴の1つである自己中心性との関連についてです。
この話からお分かりのように、議論が苦手なのは単にスキル不足だけが原因ではないと考えています。
自己中心性あるいは自己中心的という用語のもう1つの意味
自己中心性あるいは自己中心的という概念は、一般的には自分のことしか考えない自分勝手な性格を表す言葉として理解されていると思います。
ですがこの概念にはもう1つ、あらゆることを自分に結びつけて解釈する傾向という意味合いもあります。
この傾向の表れとしては、誰かが噂話をしていると自分のことに違いないと思い込むことや、誰かが不機嫌だったりするとその原因が自分にあるに違いないと思い込むことなどが挙げられます。
さらにこの傾向がどんどんエスカレートしていくと、やがては世界中で起きているあらゆる不幸な出来事をすべて自分のせいと思い込むようにもなります。
また頻度はずっと少ないのですが、外界で起きているポジティブな出来事をすべて自分の手柄のように思い込むケースも稀にではありますが生じます。
他者評価への過敏性が、あらゆることを自分に結びつけて解釈する自己中心的な傾向を生み出す
このような自己中心的な傾向は、自己愛的な性格構造の人によく見られます。
自己愛講座1でも示しましたように、自己愛的な人は他人からの肯定的な評価により自尊心を維持することに心を奪われているため、他人からの評価に非常に敏感になっていますが、この他者評価への過敏性が、自分とは関係のないことまでをも自分に結びつけて考える行きすぎた解釈へと繋がるのではないかと考えられます。
自己中心的な人は、話の内容を批判されると、自分自身が否定されたように感じてしまう
そしてこの何でも自分に結びつけて解釈する傾向を有している自己愛的な人が、議論などの意見の対立が生み出されるような状況に身をおくと、自分の意見が少しでも批判されただけでも、自己中心的ゆえにそれを自分の人格的な側面が否定、それも全面否定されたように感じてしまうため、途端に自尊心が打ちのめされてしまいます。
このように自己愛的な人にとって議論の場とは、意見を通じて自分の価値そのものが評価に晒される場として感じられるため、とても冷静でなどいられませんし、意見のすべてを肯定してもらえない限り心が安らぐこともありません。
ですから今回のテーマとは少し逸れますが、自分の意見を決して否定せず、すべて肯定的に受け止めて欲しいという願いも、この自己中心的な傾向から生まれるものと考えられます。
次回は、この自己中心的な傾向が人間関係のパターンにも特徴的に現れることを提示する予定です。