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白雪姫のお妃の殺意は自己愛的な羨望の象徴、加えて自己愛の臨床の難しさ〜自己愛講座43

今回は予定を変えて自己愛講座を投稿します。

グリム童話『白雪姫』のお妃の白雪姫に対する激しい羨望と殺意

「鏡よ、鏡、鏡さん、世界で一番美しい人は誰?」
ご存知、グリム童話『白雪姫』の中の一節です。

このお妃はある時、鏡が世界で一番美しい人を自分ではなく白雪姫と答えたことに激怒して、その白雪姫を殺害しようと企てるのですが、このお妃の心理は他人との優劣に心を奪われている自己愛的な人が抱く羨望の特徴をよく示しています。

羨望とは

羨望とは、自分にない属性を他人が持っていることに対して羨ましさを感じることですが、そのことで自分が劣っていると感じられる時には自己肯定感が低下するため、そのような不快な感情を感じさせられたことへの怒りや、他人がその属性を失うことを望む感情が生じることもあります。
また三者関係で用いられる嫉妬と区別するために使われる言葉でもあります。

自己愛的な人は常に自分と他人とを比較し、その優劣に心を奪われているため、かなりの頻度でこの羨望に苦しめられることになります。

羨望に対する自己心理学的な解釈

自分が一番でないと気が済まないため、そうではないと言われたことで酷く自尊心を傷つけられた。
そして自分の地位を奪い、そのことで自分を傷つけた白雪姫に対して激しい恨みが生じた。
また殺意は恨みの強さのみならず、白雪姫を殺害することで一番の座を奪い返したとの欲望を反映しているものと考えられます。

このようにお妃の行動は、ハインツ・コフートの創設した自己心理学的な解釈からは、自尊心を酷く傷つけられたことへの報復とみなされ、このような心の有様をコフートは自己愛憤怒と名付けました。

殺意に対する自我心理学的な解釈

一方、そのコフートの永遠のライバルとも言える自我心理学派の重鎮のオットー・カーンバーグは、羨望に対してコフートとはまったく異なる解釈をします。

カーンバーグによれば『白雪姫』のお妃のような人物の羨望は、傷つきへの反応というよりも元々有する他人への攻撃的な本能の表れと解釈されます。
このようにカーンバーグの理論に照らせば、自己愛的な人は本質的に病的であるため、些細なことでその本能的な怒りを爆発させやすい人とみなされます。

以上のような解釈の違いがあるため、もしお妃がクライエントであれば、コフートならその殺意に対して「それは余程のことだったのでしょう」と共感を示すのに対して、カーンバーグは「それはあなたの攻撃的な本能の表れでしょう」と解釈すると予想されます。

このように自己愛の病理の臨床は、精神分析の内部でも学派により対照的とも言えるほど異なっています。

ではどちらの解釈が役立つのかと言えば、それは『パーソナリティ障害の診断と治療』の中で「コフートの患者はニコニコして帰って行くのに対して、カーンバーグの患者は苦虫を噛み潰したような表情で帰って行く」と記述されているように、治療における良好な人間関係の形成に関して非常に大きな開きが生じます。

自己愛的な病理の臨床はコフート的な態度を持ってしても大変困難

ただ自己愛の病理の臨床が難しいのは、コフートのような態度を持ってしても解釈に聞き耳を持ってもらえるようになるのはずっと先、場合によっては何年も先であるということです。
これには自己愛的な人の被害感情や羞恥心の強さが関係していると考えられます。

これは、たとえどれほど共感的な内容だったとしても、その人の心が一因であるとの解釈は、被害感情が非常に強い人には「自分にも非がある」と言われているように受け止められますし、また羞恥心が非常に強い人にとっては、自分の心に焦点が当てられること自体すでに耐え難いことであるためです。

今回取り上げた白雪姫のお妃のような人物は、映画やドラマなどにはよく登場しますが、もっと穏やかな形は日常でもしばしば見受けられます。
先日、カフェで偶然そのような親を見かけましたので、次回は今回考察したような自己愛的な羨望の心理がいかに子供に悪影響を及ぼし、かつそうして自己愛の病理が世代間を伝達されて行くのかを紹介したいと考えております。

追伸)『狼と赤ずきん』もそうですが、グリム童話は自己愛の心理の宝庫です。

参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」、創元社、2005年
初版グリム童話集1
初版グリム童話集2

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