- 2018年6月15日
- 2021年11月19日
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現在の科学水準では発達障害その他の精神疾患の診断は恣意的なものにならざるを得ない
私説:精神疾患の多くが、現時点の科学水準では検査で判別できないため、その診断を問診に頼らざるを得ず、そのことで診断が多分に恣意的なものになってしまいます。発達障害では加えて、症状の現れ方の個人差が非常に大きいため、医師が余計に確定診断に慎重になり、このことが診断の留保に繋がっているのではないかと考えられます。
私説:精神疾患の多くが、現時点の科学水準では検査で判別できないため、その診断を問診に頼らざるを得ず、そのことで診断が多分に恣意的なものになってしまいます。発達障害では加えて、症状の現れ方の個人差が非常に大きいため、医師が余計に確定診断に慎重になり、このことが診断の留保に繋がっているのではないかと考えられます。
『ウタ・フリスの自閉症入門』は類書とは異なり、明確ではないことはその旨率直に認めるなど終始慎重な態度で情報提供が行われており、それゆえ自閉症(スペクトラム)や発達障害の研究に関する実情を知るのに格好の入門書と考えられます。
カフェで見かけた親子の様子を例に、一般的な意味とは異なり、「何でも自分の評価に結びつけて解釈する傾向」を意味する自己中心性について考察しています。またその傾向は、典型的には精神病およびパーソナリティ障害水準で顕著に見られる点についても触れています。
グリム童話『白雪姫』でのお妃の白雪姫に対するような羨望や殺意を、コフートとカーンバーグの理論で解釈するとともに、自己愛の臨床の難しさについても触れました。自己愛的な人は、常に他人との優劣に心を奪われているため、しばしばこの羨望に苦しめられることになります。
カフェ等で見かける、お店のスタッフとの関係では非常に社交的で誰からも慕われるようなタイプの常連の人が、他のお客さんに対しては非常に横柄な態度を取っている場面をしばしば見かけるため、人は見かけによらない典型例として、このようなタイプの人の「隠れ自己愛」の特徴を考察しました。
隠れ自己愛的な人の中でも、特定の人にだけは終始媚を売るような態度を取る一方、それ以外の人に対しては、あからさまに尊大な態度を取る人の心理について分析しています。
本来、人間とは少なからず好ましくない部分を持っていても当然であることを考えると、問題の原因をすべて脳の機能障害に関連付け、発達障害の当事者や養育者の方々に対しては「何も悪くない」とする見解は、極端過ぎるように思えます。
隠れ自己愛の人は、日々の他人から良い人と思われるための努力が「優しく誠実な人」との評価を得る反面、親しい間柄の人に対しては、甘えを通じて普段は我慢しているナルシスティックな欲求を爆発せてしまうことを考察しています。
自己愛的な人が周囲の人を巻き込む要因について、まずは如何にもナルシスティックかつ自己愛性パーソナリティ障害の診断を満たすほど重症域の人のケースについて記述しています。また誰もが自己愛的な人に巻き込まれるわけでもありませんので、巻き込まれやすい人の特徴についても簡単に触れています。
自己愛的な人には、誇大モードにある時に見せるナルシスティックな姿とは別に、抑うつモードに陥った時には、時に愛着に近いような非常に強い対人依存が生じると考えられ、その点を発生要因も含めて考察しています。