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私説:三次喫煙の健康被害の概念の普及がもたらすコミュニケーションの隔絶の可能性

今、写真家の活動の方でタバコの受動喫煙の健康被害をテーマとした作品制作を進めているため、この件についていろいろと関心を持っています。
タバコの健康被害については受動喫煙と呼ばれる喫煙者が出すタバコの煙を傍で吸うこと(二次喫煙)による害はよく知れれていますが、三次喫煙についてはまだあまり知られていないようです。

三次喫煙とは?

三次喫煙とはWikiの三次喫煙の項目によれば、受動喫煙が終わった後も表面上にまだ残る有害物質を吸入することと定義されています。
分かりやすい例がタバコの臭いです。臭いは気体状の物質ですので、その中には様々な物質が含まれていますが、タバコの場合はその臭いの中にも有害な物質が含まれていると考えられ、その二次喫煙(受動喫煙)が終わった後でも存在し続ける臭いなどを吸引することが三次喫煙ということです。

三次喫煙の健康被害を完全に防ぐことは非常に困難

この三次喫煙というのが非常に厄介です。
なぜなら二次喫煙(受動喫煙)を防ぐことは定義上、喫煙者がタバコを吸っている時に傍にいなければ防ぐことができますが、三次喫煙となりますとタバコを吸っていなくても喫煙習慣のある人と遭遇するだけで、その人の身体や衣服などに付着したタバコ由来物質を吸引してしまう可能性がありますし、さらに喫煙習慣のある人がいた場所に後から立ち入った場合でも、その人の身体や衣服から飛散したタバコ由来物質を吸引してしまう可能性もまったくないわけではないためです。

三次喫煙の健康被害の概念の普及がもたらすコミュニケーションの隔絶の可能性

このように考えますと、もし完璧に三次喫煙の健康被害を防ごうとすれば、喫煙習慣のある人との接触を断つだけでなく、公共施設や道路などを含めて、あらゆる生活空間を分離しなければならなくなります。
もちろん喫煙者と非喫煙者との結婚など、この意図の元では有り得ません。

現実はここまでのことにはなっていませんが、それでも禁煙の場所が確実に増えているため、それらを好んで利用する非喫煙者と、どんどん少なくなっている喫煙OKあるいは分煙の場所への喫煙者の利用の集中という形で、徐々にではありますが確実にコミュニケーションの分離が進んでいます。

今後のタバコをめぐる法律や双方の立場の人の行動次第では、喫煙者と非喫煙者とが今以上に隔絶し、互いに独自の文化や自治区などのコミュニティを築く時代が来るのかもしれない、もっと言えば国家・民族・人種・宗教などのように紛争の火種になる可能性もあるかもしれないと、妄想のような話ですが思いました。

追伸)この記事を書いた後、自分が発表しようとしている作品はむしろここで指摘した対立を深めことになるのではないかとの葛藤を感じました。
すると翌日、この葛藤を思い起こすような夢を見ました。
少女の死が教えてくれたこと…@夢日記

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