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祖父母殺害少年事件における主体性の考察

祖父母殺害少年:救えた機会何度も 支援に結びつけられず

痛ましい事件ですが、リンク先の記事に記された少年の「絶望と恐怖だけだった。『死ねたら楽だろうな』と思い続けた」「自分にはどうしようもない。親についていくしかない」といった言葉や、母親から「殺してでも金を借りてこい」と言われたので実際にそのようにしたことからは、自分の意志というものが希薄ですべては他人次第というような、極度の主体性の欠如を感じました。

ほとんどの人はたとえ怒りを感じても安易に他人に危害を加えたりはしません。それはどんなに腹が立っても最低限の自制心が働くからであり、そのような自制心を生み出すものは罪の意識(罪悪感)と考えられます。
しかし今回の事件の根本的な問題は、それとは別にあるように思えます。

少年は母親の命令に仕方なく従ったまでで、自分の意志によるものではありませんが、このように他人に言われて仕方がなく行ったことに対しては自責の念は生じづらいものです。
なぜなら(少年からすれば)母親が命令さえしなければ自分は殺したくもない人を殺さずに済んだと考えられるためです。
前述の「すべては他人次第」とは、このようなことを意味します。

一番の問題は主体性の欠如

ですからこのようなケースで一番の問題は、罪悪感の有無よりも主体性の欠如にあるように思えます。

判決を不服とした弁護団がどの程度のことを求めているのかは定かではありませんが、もし仮に今後の判決で無実や執行猶予がつくようなことになれば、そのことから少年は「命令されれば何をしても構わない。それは命令した側の問題であり、その命令に従った自分には何の非もないのだから」ということを学び、ますます主体性が損なわれてしまい、その結果、今後も命令されるままに罪を犯し続ける可能性があるでしょう。

その一方で実刑判決が下されれば「たとえどのような事情があったとしても、人には自分の犯した行為の結果に対して責任を持つ義務がある」ことや、そのため「他人から命令されたことでも、自分で価値判断し自分でその命令に従うか否かを決めなければならない」ことなどを学ぶ、つまり主体性が促される機会になると思います。

もちろん主体性とは健全な養育環境の元で初めて育まれると考えられていますので、この事件はそのような環境に恵まれなかったことから生じた悲劇と言えます。
ですがそれでも「あなたは酷い養育環境や(記事で指摘されているような)行政などのサポートの至らなさの犠牲者なのだから、何も悪くない」というメッセージを伝える行為は、今後の少年の人生への影響を考慮すれば非常に有害と考えられます。

言葉を真に受ける傾向が引き起こした悲劇

最後に、主体性が著しく欠如した方は、言葉を文字通りの意味で理解する傾向も強いようです。
なぜなら話し手の真意を読み取るには相当の判断力が必要とされるため、主体性が乏しい方には難しい作業であるためです。

ですから母親が実際にどのような調子で「殺してでも金を借りてこい」と言ったのかは定かではありませんが、この事件はそうした言葉を真に受ける傾向が引き起こした悲劇とも言えると思います。

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