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選挙から窺える日本人の主体性の乏しさ~「この人に任せておけば万事上手くやってくれるはず」との期待の存在

最初に私は選挙については素人同然ですので、ここに書かれていることは選挙に関して個人的に感じていることを足掛かりに推測したものに過ぎない点を留意いただけますでしょうか。

政策以外の要因で勝敗が決した都知事選

一昨日の都知事選は小池百合子さんが当選されましたが、私が気になったのは当選理由です。
昨日の「めざましテレビ」で、ある選挙プランナーの方が小池さんの勝因を分析されていましたが、その方の分析では次の要因が大きかったそうです。

・小池さんの演説の上手さや選挙運動の機動力
・対立候補陣営の失策

ご覧のように勝因に「政策」は一切含まれておらず、それ以外の要因で勝敗が決したことが窺えます。
私見ですが、今回の都知事選に限らず日本ではこのような政策以外の要因に選挙結果が大きく左右されることが少なくないように思えます。

どのような人であるのか(人柄)が候補者の評価の最も重要な要因

その理由は少し前にNHKで放送された、特報首都圏「ワタシ、選挙に行きました~”18歳”主権者教育の現場から~」での高校生の発言に端的に示されていました。
番組はある高校の主権者教育を取り扱ったものですが、その取り組みを始める前に行われた「投票で重視すること」の質問に対する生徒の主な回答は「学歴」「血液型」「人相」などでした。

政策を重視する人が皆無であるだけでなく、血液型などはその人の努力ではどうにもならない、生まれながらに決まっていることです。
科学的な根拠が乏しいようなことを、冗談半分ではなく本当に他者評価に用いる高校生が多数いることに驚きました。

さすがに社会人でこうした回答をする人は滅多にいないと思いますが、2つのエピソードから推測される日本人の典型的な候補者の評価の基準は、その人がどのような思想の持ち主であるのかということよりも、どのような人であるのかという人柄の方で、しかもその印象はたった一つの分かりやすいエピソードに大きく左右されるということです。

例えば上述の「対立候補陣営の失策」には、鳥越さんの女性スキャンダル報道と、石原元都知事のセクハラ発言や自民党東京都連の露骨な裏工作などが挙げられていましたが、後者などは増田さん本人の資質にはほとんど関係がない話のはずです。
(この有権者の「人柄」重視の傾向は、投票日の夜にテレビ東京で放送された池上彰さんの番組でも示されていました)

※ちなみにこれらのような、ある一つの事柄のみからその人の評価を決定する思考パターンは、認知療法では過度の一般化と呼ばれています。

「この人に任せておけば万事上手くやってくれるはず」との期待を持てる人が当選する確率が高い

以上のような考察に加え、以前に「カリスマ性は個人の能力のみならず「理想化-価値下げ」の防衛機制がもたらす集団現象の一つでもある~自己愛講座15」にも書きましたように、相対的に自尊感情が低く様々なことで不全感(=生きづらさ)を抱きがちな抑うつ型の自己愛的な性格構造の人が主流を占めると考えられる日本では「この人に任せておけば万事上手くやってくれるはず」との期待を持てるような救世主が常に求められており、その集団的な心理が選挙においても強く働いているのではないかと考えられます。
だからこそ「人柄」が何より大事なのだと思います。

「すべて任せておけば万事上手くやってくれる」のですから、具体的な政策など細々したことは気にする必要がないのです。

※ここでも「人柄の良さ」という評価基準の有用性が「仕事の遂行能力」にまで広げられ、過度に一般化されています。

救世主願望は主体性の乏しさの表れ

最後にこうしたすべてを委ねられるような救世主のような存在を求める心理は主体性の乏しさの表れです。
なぜなら主体的な人は自分で物事を判断することを好むため、そのための情報を欲するのに対して、それが乏しい人は自分で判断したり考えたりすることが苦痛なため、自分に代わってそれらを行ってくれる人を必要としているためです。

選挙に無関心な人も主体性が乏しい人

またこの主体性の乏しさは選挙に関心がない人にも言えることです。
こうした人は選挙には無関心でも、政策が自身に及ぼしている様々な事柄に対して不満がないわけではないでしょうから、それでも投票権を行使しないということは「誰かが何とかしてくれる」ことを期待していることになり、そうした点から主体性が乏しいと言えます。

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