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社会情勢を自分の人生に関連づけ過ぎると、不必要な不安を生み出し、やがては絶望へと至ってしまう

若い人の悩みに関する複数の言説

正月にNHKで、新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP「”根拠なき不安”を越えて」という番組を見ました。

番組タイトルにある根拠なき不安とは、番組内容を見る限り、理由が定かではないような漠然とした悩みを抱える若い人が多いことを示しているようですが、番組を見ていて感じたのは、ゲストの国際政治学者の三浦瑠麗さんも「混同」と指摘していたように、個人的な悩みと社会の問題との境界が非常に曖昧で、社会全体の問題をまるで自分の悩みのように感じ、鬱々とした気分になっているような人が見受けられたことです。

また数日前に読んだBRUTUSの「危険な読書」の特集号では、知人が自分の価値観では扱いきれないことまで受け入れてしまう人が多いことを指摘していました。

誰もが等しく社会情勢の影響を受けるわけではなく、実際は個人差が非常に大きい

これらの若い人の悩みに関する言説や臨床経験などから感じられることは、マスメディアやネットなどに流布する社会情勢の情報を、ご自身の人生とリンクさせ過ぎている人が多いことです。

確かに私たちの人生は少なからず社会情勢の影響を受けています。
ですがそれに関する統計データや言説などは、社会全体の平均値や傾向を示しているに過ぎず、実際は個人差も非常に大きいものです。

例えばバブルと呼ばれた好景気の時代には、誰もがその恩恵を受け豪勢な生活を送れたわけではありませんし、また就職氷河期と呼ばれた時代も、誰一人として希望する企業や仕事に就けなかったわけでもありません。
ですからバブル期や就職氷河期についての言説は、言われているようなことに当てはまる人が連年に比べて多かったことを示しているに過ぎません。

この事実から言えることは、社会情勢の変化と個々人の人生は、必ずしも連動していないということです。
ですが冒頭で紹介したように、それをあたかも密接にリンクしているかのように錯覚しているため、社会情勢の変化に一喜一憂する人が少なくないようです。

私たちには社会情勢に抵抗し、自分の人生を自分で形作る能力がある

確かに世の中の出来事に関心を持つこと自体は大切なことですし、人生に有益なこともあるでしょう。
しかしそれも認識の仕方次第であり、社会と自分とを同一視するような考え方は、社会情勢が好転しない限り幸せな人生を送ることはできないというような考えに至ってしまいます。

この考え方が問題なのは、社会情勢というものが簡単には変化せず、また自分一人の力ではどうなるものでもない、さらには予測不可能なことが多いことです。
このため、そのような操作不可能かつ予測不可能なものにご自身の人生を重ね合わせるような考え方は、得てして不安や絶望しか生み出しません。

ですから大切なことは社会に関心を持ちつつも、それを自分自身の事柄と混同しないことです。

また私たちは社会情勢に、ただただ翻弄されるだけの存在ではありません。その力に抵抗し自分の人生を自分で形作る能力を有した存在でもあります。
いつもそれが功を奏するわけではないとしてもです。
しかしその能力は、使わなければ退化してしまう代物でもあります。

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