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「君たちはどう生きるか」のようなブームは、他者を完璧な存在として理想化する形で繰り返されている

今回の記事は「君たちはどう生きるか」ブームへの危惧〜考え方だけでなく行動を変えなければ、やがて元の状態に戻ってしまうの最後で触れた、「君たちはどう生きるか」のような本や心理系のワークショップがもたらす強烈な高揚感のメカニズムについて考察します。

結論から言えば、このような高揚感は典型的には「「理想化-価値下げ」の防衛機制が自己愛的な症状を生み出す~自己愛講座8」「カリスマ性は個人の能力のみならず「理想化-価値下げ」の防衛機制がもたらす集団現象の一つでもある~自己愛講座15」などの記事でも考察した、他者(誰かや何か)を極度に理想化している時に生じると考えられます。

心理系のワークショップにおける講師の理想化とその影響

例えば心理系のワークショップでは、多くの場合講師は参加者から「この先生の言うことはすべて正しい」と信じられており、その信念が高じて「この先生はこの世の真理をすべて見通している」と神聖視され、社会の救世主のような存在とみなされることも少なくありません。

ワークショップの講師がここまで祭り上げられた状態では、個人的なニーズとしては様々な形で生きづらさを感じている参加者から「先生の力で自分を救い出して欲しい」との救世主願望が生じます。
また集合的なニーズとしては「先生の教えが広まることこそが世界を幸福へと導く」との信念から、熱心に知人をワークショップへ誘うようなことも起こり得ます。
この場合、もちろん相手の幸福を信じてです。

そして相手が難色を示すと、絶対的に正しい教えを受け入れようとしない相手を見下したり敵意を抱くようにもなります。
また往往にして先生の教えがなかなか社会に浸透していかない現実に直面して、社会全体への恨みを抱くことも少なくありません。

※あくまで私見ですが、オウム真理教の社会への敵対心も、このようなメカニズムで生じて行ったのではないかと考えられます。

「君たちはどう生きるか」では叔父さんが極度に理想化されている

続いて「君たちはどう生きるか」で生じている理想化のプロセスについて考察します。

この小説では叔父さんという存在が極度に理想化されています。
主人公の青年は叔父さんの教えに導かれるようにして心理的な成長を遂げて行きますが、青年の心の中では叔父さんは常に正しいことを教えてくれる(正しい道を示してくれる)存在として理想化され、またその叔父さんも終始諭すような態度で青年に語りかけています。

小説ではこのように絶対に間違いを犯さない叔父さんの教えに従い、青年が立派な人間に成長していくプロセスが、ブレることなく進行して生きます。
ここでの叔父さんは、極度に理想化されたワークショップの講師同様、この世の真理をすべて見通した完璧な存在として理想化されています。
だからこそ主人公の青年は安心して叔父さんの教えに身を委ねることができます。

常に正しいことのみを教えてくれるような人は現実には存在しない

では現実はどうでしょう。

極度に理想化されたワークショップの講師や「君たちはどう生きるか」に登場する叔父さんのような、常に正しいことのみを教えてくれるような人がどこかにいて、その人の教えを忠実に守り実践さえしていれば確実に幸福な人生を送れるようになっているでしょうか。
恐らくまったくそうではないはずです。

自分の判断力に自信がない人は他者を理想化しやすい

以上のような考察から、ワークショップの講師を極度に理想化したり、あるいは「君たちはどう生きるか」のような小説や漫画に惹かれる人の心には、現実社会では得られない「常に正しいことのみを教えてくれる」存在を求め、その人に安心して身を委ねることで幸せになれる、何も不安を感じなくて済むことを期待する、もっと言えば切望する気持ちが存在しているのではないかと考えられます。

特に自分の判断力に少しも自信を持てない人にとって、このような絶対的な信頼を寄せられる人の存在は不可欠であり、生きて行く上での心の支えとなっているはずです。
しかし現実社会でその望みが叶えられることはありません。

そこでその失望感から逃れるために空想の中で理想的な存在を作り出し、その理想像が現実社会の別の存在に投影されることでその存在を理想像そのものと錯覚するため、とうとう出会えた救世主のような存在に気分が高揚するのではないかと考えられます。

もちろん理想像を投影する対象は誰でも(あるいは何でも)良いというわけではなく、そのようなプロセスが生じるのは通常その理想に適う部分をいくらかでも持っているような存在です。
この点、心理系のワークショップの講師は心「全般」について「正しいことを知っている」専門家とみなされやすく、また「君たちはどう生きるか」に登場する叔父さんは、すでに思想面において万能的な存在として描かれています。

理想化の対象とされた存在は完璧な存在としてあらゆることが美化される

最後に理想化された存在がどれほど美化されているのかについて実例を示します。
「君たちはどう生きるか」のブームを取り上げた「クローズアップ現代+」の中でインタビューに答えていた人から多く聞かれたのが「人に感謝する気持ちが芽生えた」あるいはその大切さを知ったというものです。

ですがそのように答えた人は、本当に「君たちはどう生きるか」を読んで初めて、そのような気持ちになったのでしょうか。
冷静に振り返ってみれば、ほとんどの人は恐らくこれまでの人生で幾度となく他人の善意に対して感謝の気持ちが芽生えたり、あるいは自分の行いを反省する中でその大切さを自覚したことがあったはずです。

ですから感謝の気持ちというのは深い洞察と言えるようなものではなく、むしろ非常に常識的な良心の範疇に入る類のものです。
それをあたかも初めて手にした宝物のように感じる、これが理想化のプロセスで生じている極端な感情です。
理想化のプロセスが働いている状況では、理想化対象から発せられるおよそあらゆることが、この上なく素晴らしいものとして感じられます。

理想化のプロセスは必ず「失望」という形で終わる

しかしこのプロセスは永遠に続くわけではありません。
何かのきっかけで現実に目覚めた途端、理想化のプロセスは瞬く間に消滅し、その結果それまで万能視されていた存在がそれほど完璧な存在ではなかったことに深く失望し、その失望感から逃れるために、また新たな理想化対象を探し求めることになります。

こうしてこれまで無数の人やモノが完璧な存在として祭り上げられ、しかしやがては別の完璧な存在にその座を奪われることでいつしか忘れ去られて行くということが延々と繰り返されてきました。

参考文献

君たちはどう生きるか

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