スクールカーストと呼ばれる現象を自己愛的な心理の表れとして考察する記事。
3ページ目では同じ自己愛的な性格でも、躁的防衛と呼ばれる自分の能力や価値などを理想化して気分を持ち上げる力の有無により、自信や積極性などに非常に大きな差が生まれ、その差がスクールカーストの地位の違いに繋がるとの見解を示しました。
このページでは1軍のみならず2軍の生徒の多くもスクールカーストを必要不可欠なものと考えている実情を、NHKEテレ「いじめをノックアウトスペシャル第12弾「スクールカースト」」での当事者の生徒の発言を参考にしつつ、「理想化-価値下げ」に加え、主体性の有無の影響も加味しつつ考察します。
1軍の生徒にとってスクールカーストは、何でも思い通りになる天国のような場所
『教室内カースト』にまとめられたスクールカーストのアンケート調査とインタビュー内容によれば、カーストの頂点に位置する1軍の生徒は何でも自分の思い通りになるため天国のような場所であると実感しているようです。
同書によれば1軍の生徒は2軍、3軍の生徒を、ストレスの捌け口など自分の満足のための道具として利用することが許されるだけでなく、教師までもが自分たちの顔色を伺い媚びを売るような態度をとるそうです。
2軍の生徒にとってもスクールカーストは必要不可欠な存在
前述のように、1軍の生徒にとってスクールカーストは、何でも思い通りになる天国のような場所のため、その存続を望むのは当然でしょう。
ところがこのスクールカーストは、2軍の生徒にとっても必要不可欠な存在と考えられているようです。
この点は『教室内カースト』よりも、記事の1ページ目で告知したNHKEテレ「いじめをノックアウトスペシャル第12弾「スクールカースト」」での当事者の生徒の発言に、より顕著に示されていました。
強いリーダーシップに基づく統制状態を希求
同番組のスタジオには2軍に位置づけられた生徒が多く出演していましたが、その中の複数の生徒からスクールカーストは必要不可欠なものとの指摘がありました。
その主な理由は次のようなものです。
・1軍の生徒が仕切ってくれないと何も始められない
・(スクール)カーストが存在しないと秩序が保たれない
この2つの発言から、2軍の生徒は1軍の生徒に強いリーダーシップを期待すると共に、非常に強い支配-従属関係が存在する統制状態をも求めていることが推測できます。
2軍の生徒が同級生から道具のような扱いを受けているにも関わらず、そのような関係の維持を望んでいるとは理解に苦しむかもしれません。
(『教室内カースト』によれば、2軍、3軍の生徒は、1軍の生徒の怒り*を買うため、何かを楽しんだり笑ったりすることも許されないそうです)
*補足) ちなみにこの怒りは羨望によるものと考えられます。他人が楽しそうにしているのを見ると、「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きにより、相対的に自分がつまらない人間のように思えてきてしまい、なおかつその不快さに耐えられないため、自分をそのような苦痛な目に遭わせた相手に対して怒りが爆発するのではないかと想定されます。
主体性が乏しい人にとって「自由にして良い」と言われるのが一番困る
この他人による支配を受け苦しい思いをしながらも、同時にそのような関係を望む人として主体性が乏しい人を挙げることができます。
主体性が高い人と乏しい人とを比較した記事の各ページに記載しましたように、主体性が乏しい人は物事を自分で判断したり選択したりすることが非常に苦手のため、他人の指示や勧めに従うことを好む傾向があります。
そしてこの苦手意識が強くなればなるほど、指示する側が不快な行為に及んだとしても、主体性を発揮しなければならいないよりはまだ楽なこととして容認されることになります。
こうした事情が、1軍の生徒から物事を楽しむ自由を奪われ、常に彼らの機嫌を伺わなければならないような状況が存在してもなお、そのような関係の維持を2軍の生徒の多くが望む一因ではないかと考えられます。
補足) 余談ですが、この主体性の欠如の別の面への現れとして、体罰を挙げることができます。
体罰の記事で取り上げた世間から体罰教師と目されている人物に対して、多くの教え子が厳しい指導に感謝の気持ちを表明しているという事実は、主体性が乏しい人によって自主的な行動など主体性を発揮を求められる状況がどれほど苦痛であるのかを物語っていると思われます。
参考文献
鈴木翔著、本田由紀解説『教室内(スクール)カースト (光文社新書)』、光文社、2012年
ナンシー・マックウィリアムズ著『パーソナリティ障害の診断と治療』、創元社、2005年