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自己愛的な人が誇大モードにあるときには恥の感覚が希薄になる@自己愛講座10

先日、仕事が終わった後に行きつけのスタバへ行くと、典型的な自己愛性パーソナリティ障害と思われるようなお客さんが、傍から見れば些細なことと思えるようなことで逆上して、周囲の迷惑など顧みずに大声でスタッフを罵倒し続けていました。
この事例を元に、今回の自己愛講座では2回に分けて、自己愛的な性格構造の人の中核的な感情であるおよび、これまた中核的な防衛機制である「理想化-価値下げ」について考察致します。
初回の今回は「恥」についての考察です。

自己愛性パーソナリティ障害の典型例のような人であるにも関わらず「恥」の感覚が感じられない

そのお客さんはある理由からとても腹を立て、周囲に大勢の人がいるにもかかわらず大声でスタッフを怒鳴り続けていました。
この態度は自己愛講座1の自己愛性パーソナリティの「人からの肯定的な反応による自尊心の維持に心を奪われている人」旨の定義と矛盾しているように思われます。
なぜなら人を怒鳴り続け、そのことで周囲に不快感を与えているような人に対して肯定的な印象を抱く人など、ほとんどいないように思えるためです。

このことに関して若い頃の私自身のあるエピソードが思い出されました。
20年くらい前の話ですが、当時の私は放送大学に籍を置き、そのときは哲学の講座のスクーリングを受けていました。
もう内容は忘れてしまいましたが、あることで疑問を感じ、それを授業が終わってから講師の方に質問したのですが、質問しているうちに高揚感のようなものを感じ始め、やがて質問というよりも自説を一方的に論じるような調子になって行きました。

その講師の方は同じ教室で次の授業も受け持つらしく、やがて次の授業を受ける人が次々と入って来て、とうとう授業の始まる時間になってしまいました。
しかしそれでも私は高揚感に酔いしれるかのように話を止めることができませんでした。
そのため講師の方が当惑するだけでなく、生徒の方からの冷たい視線を浴びることにもなりましたが、しかしそれでもなお私の名調子?は続きました。

本来、自己愛的な性格構造の人は繰り返しになりますが、人からの肯定的な反応による自尊心の維持に心を奪われているため人目を非常に気にし、かつ否定的な反応をとても恐れる傾向があります。
しかし前述の私の態度はそのいずれとも矛盾しています。

自己愛的な人が誇大モードにあるときには恥の感覚が希薄になる

この矛盾に関しては、精神分析医の岡野憲一郎さんの著書『恥と自己愛の精神分析』の中に「自己愛的な人の恥の感覚は、ショックを受けたり気分が落ち込み誇大感がしぼんでしまっている状態のときに経験されるもので、誇大感に駆られている状態のときには、むしろ恥の感覚が希薄で傍若無人的な性格になる」旨の記述があったことを思い出しました。

この岡野さんの理論を援用するれば、冒頭のお客さんや私の行動の説明がつきます。
つまりまったく同じではないにせよ、両者とも自信に満ち溢れた誇大モードにあったため、周囲の冷たい反応などお構いなしと言わんばかりの態度に出ることが可能であったのだと思われます。

次回は同じ事例を元に「理想化-価値下げ」の側面について考察します。
実は誇大モードの状態にある自己愛的な人に恥の感覚が生じづらいことにも「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きが関与していると考えられます。

自己愛講座11 参考文献

岡野憲一郎著『恥と自己愛の精神分析:対人恐怖から差別論まで』、岩崎学術出版社、1998年

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