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栄光の孤独~他人から理解されないのは自分があまりに素晴らしすぎるゆえの不幸@自己愛講座11

今回の自己愛講座は自己愛的な性格構造の人がときどき陥る、栄光の孤独と呼ばれる心理状態について書かせていただきます。

以前に自己愛講座1で精神分析における自己愛的な性格構造の定義として「他者からの肯定的な反応による自尊心の維持に心を奪われている人」旨のことを書きました。
しかし今回取り上げる「栄光の孤独」は、この自己愛の定義と矛盾する心理状態です。
具体的には誰からも理解されないことが自分の素晴らしさの証と感じられ自尊心が高まるという状態です。

なお今回の記事は比較的重症域の自己愛障害の人を念頭に置いたものです。

他者から賞賛・理解されないのは自分があまりに素晴らし過ぎることが原因であるとの解釈から生まれる「栄光の孤独」

本来、自己愛的な人は、他者から賞賛されることによって初めて自分が価値ある存在と感じられるため、DSMの自己愛性パーソナリティ障害の診断基準としてもお馴染みの絶え間ない賞賛欲求が生じやすいという特徴を持っています。

ところがこの自己愛的な人が「栄光の孤独」に陥ると、誰からも理解されない(=他者からの肯定的な反応がまったく得られない)あるいは期待したほどの反応がないという事態に対して次のような解釈がなされることで自尊心の高まりへと結びつくことがあります。

・誰からも理解されないのは、自分の考えなり価値が並の人間の頭では到底理解できないほど高尚すぎるからである。これ以上、低俗な人間の相手をするのは時間の無駄だ。むしろそんな人間どもと付き合うと悪影響を受けて自分の素晴らしさが減じかねない。だからこれからは類まれな私の価値をかろうじてでも理解できる、ごく一部の人間だけを相手にしていれば良い。
誰からも理解されないことは辛いことだが、これも選ばれた人間であるがゆえに経験する不幸だから致し方ない。もちろん私は忍耐強くかつ寛容な精神の持ち主だから、喜んでこの事態を引き受けるつもりだ。

・理解を示さないのはきっと私の素晴らしさが羨ましくて仕方がなく、そのような気持ちにさせたことへの仕返しに違いない。これだから他人の成功を素直に喜べない器の小さい人間は困る。
世の中こんな人間ばかりだから、いつまで経っても社会はよくならない。悲しいことだ…

「栄光の孤独」は傷つき抑うつ状態となった心を回復させるための防衛手段

これらの解釈は恐らく、自分が誰からも理解されないことで傷つき深刻な抑うつ状態に陥った心を回復させるための防衛の産物だと思われます。
つまり防衛のために造り出された性格的な症状であって、決して本質的なものではないということです。

またこれらは以前に自己愛講座8で触れた「理想化-価値下げ」の働きによるものであることも分かります。
(自分が理想化され、相対的に他人が価値下げられる)

さらにこの「栄光の孤独」状態にある時は、例えばイエス・キリストなど正しい行いをしたがゆえに迫害された歴史上の偉人に自分を重ね合せることもしばしば生じますので強烈な陶酔感を伴います。
このためクセになりやすいという特徴もあります。

そしてこれらのように思い直すことで自己愛的な人は自分が無価値な存在であるという絶望的な心理状態から気分を持ち直し、かつ孤立化の道を歩むのですが、本質的には他者からの肯定的な反応なしには最低限の自尊心を維持できないためその孤立化は長続きせず、そう遠くないうちにまた旺盛な賞賛欲求が頭をもたげてきます。
つまり一時しのぎの自己満足に過ぎません。

「栄光の孤独」はその自覚なく周囲の人を振り回す

また自己愛的な人の、絶え間ない賞賛を求める状態と「栄光の孤独」がもたらすひきこもり状態とを行き来する態度は周囲の人を当惑させます。
なぜなら前者の時の「アナタなしには生きてけない」と思われているような過度に必要とされる状態と、後者の時の「お前など二度と顔も見たくない」と言われるような状態の、非常に両極端な状態の繰り返しに翻弄されることになるためです。

しかし自分が及ぼしているこれらのことを自己愛的な人が自覚するのは容易なことではありません。
なぜなら前者では自尊心を保つために文字通り必死の状態ですし、後者では他人がどうしようもないほど馬鹿に思えて仕方がないためです。

「栄光の孤独」参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著『パーソナリティ障害の診断と治療』、創元社、2005年

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