今回は「自己愛講座16」で取り上げたような、ナルシスティックな態度が表面化しないために一見自己愛的な人には見えない、抑うつ型の自己愛タイプの人が見せる、時に数時間に及ぶお説教の特徴について、性格一般の特徴と共に書かせていただきます。
一般的なお説教のイメージとは程遠い、終始諭すように静かなもの
まず「お説教」と聞くと、ガミガミとした、あるいはヒステリックなものをイメージされるかもしれませんが、抑うつ型の自己愛タイプの人のお説教はそれらの印象とはまったく異なり、むしろとても静かなものです。
それはこのタイプの人のお説教は終始「諭す」ような調子で行われることがほとんどのためです。
そしてこのことが、そのお説教を嫌々ながらも断りきれず、長々と聞き続けることになってしまう一因です。
その理由は一般的なイメージのお説教でしたら、そのあからさまな威圧的態度から、聞いていて直ぐに腹が立ち大抵は口論に発展しますので、一方的に批判され続ける状態は長続きしません。
しかしそれが終始諭すように行われるとなればどうでしょう。
前述の自己愛講座16に書きましたように、実際は自覚されない自分の自尊心を高める目的が存在すると考えられますので、これはあくまで表向きの話ですが、常に(これも一見)優しい口調で(同様に)君のためを思い、心配で言わずにおけないという態度で同じことを言われるとどうでしょう。
少なくてもその意図を見抜きづらい開始当初は、本当に自分のことを心配して、敢えて苦言を呈してくれていると錯覚してしまうでしょう。
※ただし声を荒げることが、まったくないわけではありません。
その諭すような調子が聞き手の「理想化」を促す
もし本当にこのような本心の人がいれば、その人のことを素晴らしい人と思うはずです。
こうして開始当初に感じた印象が、話し手のことを実際以上に素晴らしい人と錯覚する「理想化」を促すことになります。
(だたし、あくまで促されるだけですから、すべての人がこの術中にハマるわけではなく、またこの後の展開での気づきにも個人差が相当あります)
もっともそのような調子も延々と続くと、さすがに「何かおかしい」と感じ始めますし、終始批判され続けているわけですから気分も悪くなってきます。
ですが「理想化」の防衛機制が働いている状態では何でも好意に解釈する傾向がありますので「何かの間違いだ」「気のせいだ」と思い込みたい気持ちが生じ、それが気づきを妨げます。
この一見、誠実さを装っていることが、抑うつ型の自己愛タイプの人のペースに巻き込まれてしまう一因です。
しかも神経症水準以上の健全な方でない限り、その偽装は無自覚に行われ、つまり重症域の抑うつ型の自己愛タイプの人は本当にそう思って話していますので、ここに書かれていることの判断は容易ではありません。
※抑うつ型の自己愛的な人がこのような話し方を好むのには、前回の自己愛講座18のリストの中にあります、限りなく高い人間性に価値を置き、それを追い求めることと関係していると考えられます。
抑うつ型の自己愛タイプの人のお説教には必ず「強烈な蔑み」の感情が見受けられる
もっともそれでは解決になりませんので、次に「理想化」の防衛機制が働いている状態でも、抑うつ型の自己愛タイプの人のお説教の真の目的を見抜く方法として、このタイプの方のお説教のもう一つの特徴を示します。
それは非常に強烈な蔑みの感情の存在です。
こちらも自己愛講座16にも書きましたように、抑うつ型の自己愛タイプの人のお説教の目的は、相手を見下すことによって相対的に自分の価値の高さを感じ、そのことで自尊心を回復することですから、その態度には必ず強烈なまでの蔑みの感情が見て取れます。
なぜなら繰り返しになりますが、その感情が生じなければ「自尊心の回復」という本来の目的が達成されないためです。
これが偽りではなく本当に相手のことを思って苦言を呈してくれる人との決定的な違いです。
具体的には、その態度から聞き手に次のようなメッセージが伝わって来ます。
・期待していたのに、君には本当に失望させられたよ
・タメ息や、その気持ちを表す大げさなゼスチャー
ただし判別基準は、その蔑みが強烈なものであることです。
なぜなら批判やアドバイスという行為自体が不平等な人間関係を生み出してしまうため、話し手がどんなに努力しても、聞き手が多少なりとも見下されているような感覚に陥ることは避けられないためです。
健全な人のお説教は長くなることはない
もう一つの判別基準はお説教の長さです。
通常、批判的な言動でも、それが健全な人のものである場合それは短時間で済みます。
なぜなら何かを指摘するだけなら、説明も含めて数分もあれば十分だからです。ですからお説教にさえならないと言って良いかもしれません。
また健全な共感能力の持ち主であれば、長時間の批判に曝されることがどれほど苦痛であるか容易に想像できるため、極力そうしたことは避けようとするためです。
ですが基本的に自分のことにしか関心のない自己愛的な人に、そのような配慮は望めません。
誠実そうに見えて実は無慈悲
さらに抑うつ型の自己愛的な人は、一見誠実そうに見えて実は無慈悲です。
例えば相手の方が辛くない泣き出しても、しばしばまったく動じず容赦なく批判を続けます。
それどころか、むしろ不快感や怒りを顕わにすることがあります。
これは抑うつ型の自己愛タイプの人が、既述のように基本的に自分のことにしか関心がないため、目の前で相手が泣き出しても、わりと平然としていられることに加えて、自己愛講座18の別のリストにありますように、自分が常に正しくあることに固執し、その裏返しとして自分が悪者にされることに対しては過敏なまでに反応するためです。
また、このようなときに生じる激しい怒りは、自己心理学で自己愛憤怒と呼ばれるほど激しいものであり、かつ予測不可能なほど突然生じるため、相手はすっかり狼狽してしまいます。
自己評価が損なわれたことに、許しがたいほどの怒りを感じる
では抑うつ型の自己愛タイプの人は、この程度のことで、なぜ激しい怒りを感じるのでしょうか。
それは抑うつ型、誇大型に限らず自己愛的な人にとって最も大切なのが他人の評価であるためです。
前述の例を大げさに思われるかもしれませんが、それほど自己評価に敏感なのです。
私も仕事を通して何度も驚かされました。
最後に今回述べたような抑うつ型の自己愛タイプの人の意図を見抜けたとしても、残念ながらそれでも相手のペースから抜け出すことは容易ではありません。
それは抑うつ型の自己愛タイプの人が、非共感的でありながらも相手の反応に対して非常に敏感であるため、今回述べたようなことを機械的に繰り返すわけではなく、もっと複雑な態度を示すためです。
大部になりますでの、その点については次回に譲ります。
ただ今回の内容を念頭に置いていただけるだけでも、批判され続けながらも「自分のことを思ってくれてのこと」と錯覚し続けることからは脱することができるのではないかと考えています。
またこれは最後に強調しておきたいのですが、これまで何度か指摘しましたように、ここに書かれていることのほとんどは無自覚に行われているであろうと推定されていることに過ぎず、当事者の方自身も決して心地良いわけではありません。
もし楽しんで行っているのであれば、その方は恒常的な抑うつ状態に陥ったりするはずがないためです。
むしろこのような行為は、辛い抑うつ状態から脱するための必死の試みであり、しかしその試みが、ご本人にとっては良かれと思っていることであったとしても、それが相手の方をむしろ苦しめるものになってしまっていることが問題なのだと思います。