アリス・ミラー著『新版 才能ある子のドラマ』

自己愛的な人の他人のニーズへの敏感性について考察する自己愛講座48。
1ページ目では、あるテレビ番組に登場した女優さんや私自身の子供の頃を例に、自己愛的な人が親の何気ない一言を過大視し、その親の期待の影響を過剰に受けてしまう有様を紹介しました。
(但し次のページで詳しく述べる予定ですが、このことが直ちに不幸な人生を招く訳ではありません)

2ページ目ではさらに別の番組を援用しつつ、自己愛的な人の他人のニーズへの反応の仕方は、病態水準(重症度)によって異なることを紹介します。

ハートネットTV 平成がのこした“宿題”番外編「自己肯定って言われても…」

今年の4月にNHKEテレ『ハートネットTV』で「平成がのこした“宿題”番外編「自己肯定って言われても…」」と題する番組が放送されました。
内容は千葉雄大さん主演の同番組制作ドラマ「尽くす女」の放送と、そのドラマへの反響などで構成されていましたが、この番組には「尽くす」という表現に象徴される、常に他人のニーズを優先させる有様が3パターン示されていました。

軽症例~自分の気持ちに無理やり蓋をしてしまう

1つ目と2つ目のパターンは、番組の公式ページの次の文章に示されていました。

自分の気持ちに“蓋”をして他人に尽くし過ぎてしまう主人公

このような言い方をする人は、自分の気持ちに気づいてはいても、それを相手に伝えることに対抗を感じているか、あるいは自分の気持ちに価値を置いていないかのいずれかではないかと考えられます。
しかし一方的に「尽くす」という行為にまで及んでしまう人は、恐らく後者のようなタイプではないかと考えられます。

なぜなら前者のような人は、自分の気持ちの大切さをある程度は実感していても、それを相手に伝えることで相手が気分を害したり傷つけてしまうことを恐れるあまり封印していることが想定されますが、これは自分の気持ちを無理やり押さえ込んでいる、つまり表に出す事を我慢し続けているわけですから、相当なストレスとなります。
このため、その気疲れなどの精神的苦痛の影響で「尽くす」という行為は長続きしません。

中等度の例~自分に価値を置いていないため、容易に「尽くす」ことができる

一方、自分の気持ちに気づいてはいても、それにほとんど価値を置かないような人は、仮に蓋をしてしまっても大してストレスを感じません。
なぜなら価値がない(と感じている)ので、それを無視してもダメージを感じないためです。
このため気持ちを含めて自分に何ら価値を置かないような人は、無価値な自分よりも遥かに価値があると感じられる他人に対して、容易に「尽くす」ことができます

それだけではありません。自分に価値が感じられない人は、他人に「尽くす」ことで自分に(その人の役に立つ存在であるという意味合いの)価値が生まれるため、苦しい無価値感*から脱出できるというメリットも感じられます。

*虚無感、空虚感と表現されることにあります。

重症例~「あなたはどうしたいの?」と問われても、質問の意味が分からない

さらに番組では、より重症域の自己愛の病理が示されていました。
それはドラマの中で主役の千葉さんがカウンセラーから「あなたはどうしたいの?」と問われても、その質問の意味が分からず当惑してしまうシーンです。

ここでの意味が分からないとは、その日本語の意味が分からないのではなく、自分が何かをしたいという感覚が皆無であるために、それについて聞かれてもまったくピンとこないという状態です。

前述の中等度の例では、価値は置かれていなかったとしても、自分に気持ちや欲望が存在していることへの自覚はありました。
しかし上述の重症例では、その自覚さえなくなっています。文字通りの意味で「自分がない」状態です。

ここまで重症化すると、恐らく「尽くす」という感覚さえ曖昧になってもおかしくありません。
なぜなら「尽くす」という行為は、ある人物が別の人物に対して行うものであり、したがってそこには「自分が」相手に尽くしているという、行為の主体であるとの明確な感覚が存在して然るべきだからです。

さらに重症化すれば「現実感覚喪失」の状態へと至ることも

番組の事例では「自分がない」状態は限定的なようでしたが、この状態が広範囲に及ぶと、自他の心理的な境界がどんどん曖昧になっていくため、会話をしていても、どちらのことを指して発せられた言葉なのか分からなくて混乱したりすることになります。

また心理的な境界が曖昧になるにしたがい、私という「個」の感覚も曖昧になっていくため、現実感覚喪失の状態へと至ることもあります。
これは自分がこの世に存在し、世界を知覚しているという主体の感覚が失われた状態であるため、目の前の光景から生気が一切感じられず、絵を眺めているような感覚に陥ることになります。

このページをご覧になった方の中には、気疲れしてしまう軽症例よりも中等度の例の状態の方が快適な人生を送れるように感じた方もいらっしゃるかもしれません。
しかしその後の文章でも示されているように、この快適さは「自分がない」状態によってもたらされたものであり、しかもこの状態には「無価値感」や「現実感覚喪失」という別の苦しみが待ち受けています。
つまり苦しみの質が変化したに過ぎないのです。

次のページでは、自己愛的な人の他人のニーズへの過敏性という特徴が、直ちに不幸な人生を招く訳ではないことを述べる予定です。

アリス・ミラー著『新版 才能ある子のドラマ』
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