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心理療法の治療効果:

心理療法の治療効果への理想化の防衛機制と不安心理では自身の自己分析の体験から「特定の心理療法が他の心理療法に比べて格段に優れているということはなく、したがってどの心理療法を用いても同様の治療効果が得られる」とのスーパーバイザーの助言について考察しました。
しかしこのスーパーバイザーの助言を全面的に受け入れたわけではありません。それは「他の心理療法でも」の部分についてです。
これを「(文字通り)どんな心理療法を用いても」という意味で受け取れば答えはノーです。

苦手な心理療法による自尊心の傷つき

たとえば私がアートセラピー(芸術療法)を試したといたしますと…アートセラピーが大の苦手な私は途方にくれるだけで、自己受容はおろか自己洞察すら得られず、アートセラピーが上手くできないことで「自分は無能力な心理カウンセラー」だと感じ自尊心が傷つくだけのような気がします。
事実、心理カウンセリングのトレーニングの頃には、苦手な心理療法の練習のたびにこのような自尊心の傷つきを味わっていました。

心理療法と心理カウンセラーとの相性:

私が思うに、心理カウンセラーにとってそれぞれの心理療法には向き不向き(相性)があるように思えます。
抑うつ型自己愛性人格障害に潜む罪悪感からの自殺衝動と人の役に立ちたい気持ち-自由連想法による自己分析・治療での、それまでゲシュタルト療法でしか得られないと信じていた自己受容が自由連想法でも得られた体験は、自由連想法が私にとって慣れ親しんだ、言葉を変えれば相性の良い心理療法だったからこそ起こりえたのであり、他の心理療法でしたらこのような効果は得られなかったものと思われます。

心理療法とクライエントとの相性と、自尊心の傷つき・不安心理への配慮:

心理カウンセラーに心理療法との相性があるのだとすれば、当然クライエントにも心理療法との相性が存在することが考えられます。
この考えからしますと、心理カウンセラー側のさまざまな制約要因(心理療法との相性や習得への経済的・時間的制約・関心など)により心理カウンセリングの場では限られた種類の心理療法が選ばれることになりますが、その選ばれた心理療法がもともとクライエントに適していない可能性が出てきます。
もっともこのことは実際にその心理療法を試してみてからでないこと分からないことも多いため、心理カウンセラーは効果がないと思えばそのつど別の心理療法を試すわけですがその際、心理カウンセラーの側は「ダメなら次」という気楽な気分でも、クライエントの側には「自分はダメな人間」「自分の病気は心理療法がまったく効かないほど重症に違いない」などの自尊心の傷つき不安心理が生じている可能性もあります。
したがって心理カウンセラーには自分が勧めた心理療法が治療に効果的に機能しなかったことでクライエントが傷ついている可能性を常に心に留めておく必要があるように思えます。
またこのことは心理カウンセラー自身が心理療法のトレーニング中に少なくても一度は味わっているはずの自尊心が傷ついた体験を思い起こせば容易に想像がつくと思われます。

「エビデンス(科学的根拠)に基づいた心理療法」の是非:

また心理療法の治療効果に対して「この精神疾患や症状にはこの心理療法が効果的」というような考え方が存在し、昨今の「エビデンス(科学的根拠)に基づいた心理療法」を求める流れから影響力を増してきているようですが、この考えがクライエント個人個人の心理療法との相性を無視した概念であることは明らかです。
「エビデンス(科学的根拠)に基づいた心理療法」とはあくまで統計から導きだされた傾向にすぎず、したがって相対的なものに過ぎません。
そのためこのような考えを治療の目安として用いる分には有効であっても、絶対的な真実を示すものとして利用することは、いたずらに治療の行き詰まり中断を招く恐れがあると考えられます。
たとえば先の私のアートセラピーを例にとりますと、もし私がクライエントの立場で心理カウンセラーから「あなたの症状にはアートセラピーが一番効果的で、このことは科学的にも立証されています。これ以外の心理療法ではあなたの病気は治りません」などと執拗に苦手意識を持つ心理療法を勧められれば、しぶしぶ心理カウンセラーの勧めに従い自尊心の傷つきを味わうか…なぜなら抵抗を示すことは治療効果を確信している心理カウンセラーの目には治療への妨害行為としか映らないためです。
またあるいはその苦痛を避けるために適当な理由をつけて、もしくは黙ってその心理カウンセラーの下を去る、つまり心理カウンセリングを中断させてしまうかもしれません。

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