スクールカウンセラーを務める臨床心理士への産経新聞の批判記事などを基に、スクールカウンセラーに求められている保護者への助言を拒む彼らの心性を考察する記事。
1ページ目では批判内容の要約と、その見解を私が支持する理由、2ページ目では助言を拒む構造的な要因として、カウンセリング業界全体のクライエント中心療法偏重の風潮について、そして3ページ目では業界全体のクライエント中心療法偏重という構造的な問題があるにせよ、それでもひとたびスクールカウンセリングの現場に出れば、むしろスクールカウンセラー個人の判断の影響の方が大きいと考えられる点について触れました。
続くこのページでは最後の考察として、臨床心理士に特有と考えられる要因を取り上げます。
「臨床心理士」という資格への強いこだわり
最初に改めてYahoo!ニュースに掲載された産経新聞の批判記事を示します。
チーム学校~取材の現場から スクールカウンセラー 「助言しない」意識変革を(産経新聞) – Yahoo!ニュース
私がこの記事を読んで不思議に感じたのは、冒頭の「私は臨床心理士なので、具体的なアドバイスはしない」の部分です。
私の想定では、スクールカウンセラーが必要な助言を拒むもっとも大きな要因は、2ページ目でも示したようにトレーニングの過程で助言を堅く禁じるクライエント中心療法を重点的に教わるため、その理念から離れることが難しくなっていることです。
このためスクールカウンセリング事業のガイドラインで求められているにも関わらず相談者に助言できないのは、そのような行為は自分が非常に高い価値を置くクライエント中心療法の理念に反するものであり、したがって相談者の心に悪影響を及ぼしかねないと考えているためということになるはずです。
ところが記事の冒頭の発言では、助言を拒む理由を臨床心理士であるためとしています。
しかし実際は、これも2ページ目で示示したように、助言を疑問視するのは何も臨床心理士に限ったことではなく、むしろ日本の心理職全体の風潮と考えられます。
このことから「臨床心理士ゆえに助言はできない」旨の発言には、何か臨床心理士ならではの事情が反映されていることが予想されます。
「臨床心理士」という資格への自己愛的なステータス意識
その臨床心理士ならではの事情とは、資格取得の難易度の高さではないかと考えられます。
現在は公認心理士という同等の学歴を要求される国家資格が存在しますが、それ以前は受験資格として心理系の学部の修士以上の学歴が必要となる唯一の資格でした。
(厳密には、精神分析家になるためにも、医師の資格または心理系の学部の修士以上の学歴が必要となります)
こうした事情から臨床心理士は他の資格よりも社会的な信頼がひときわ高く、このため例えば医療機関や自治体が心理職を募集する際も、応募資格を臨床心理士または公認心理士の有資格者に限定している場合が少なくありません。
そしてこのような社会からの厚い信頼は、通常でしたら重責を担っているとの自負の念へと結びつき、その社会からの期待やニーズに応えるべく尽力する方向へと動機づけられることでしょう。
しかしもしその臨床心理士が多分に自己愛的な性格構造を有していた場合は、この性格の特徴である「他者評価へ関心が集中する反面、その他者の事情は軽視される」傾向や、「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きによる優越感の希求などの作用により、臨床心理士への高い信頼性が自己の類い稀な価値を保証するものとして不健全なステータス意識を生み出しかねません。
あくまで私見ですが、こうした資格にまつわる自己愛的なステータス意識が、現実の要請よりも自身の信念を重視する傾向へとつながり、その傾向が心理職業界全体のクライエント中心療法偏重の風潮とあいまって、スクールカウンセリングの業務における助言の拒否という形で現れているように思えました。